小説の書き方「重松 清」編
11月30日のテレビで作家の重松 清が、NHKテレビ番組で「奇跡のレッスン」と題して、廃校を使って生徒(無作為)を集め4日間のカリキュラムレッスンの模様を放送した。
年代層は12~15歳くらいに見えたが、なにしろマスク姿だし、ややー年嵩が増していたようにも見えた。
長帳場の時間帯であるし、父兄同伴もありかな、と思ったが、またぞろ親御風景は、いらないと感じた。ま、それが所感意見ではない。
その生徒に、作家になるためのイロハを教えることは、重松本人にとっても難問だったに違いない。
自ら吃音(どもり)であったことを明かしたが、幼い頃より障害とかいじめの経験が「小説」のモチーフになる場合もあった。
では小説は、どうやって書くか、という話しだが、そんな定型はないだろう、ただし相手に対して気持ちを伝える、端的にいえば相対的な構成が必要だと教えていたような気がした。
それで、そんな文章をかいてみようかと、いろいろ考えたがそのフレーズは出てこなかった。結論、自分で考えろ・・・、それを教えたかったのだろう。
線のむこうがわ
朝、いつもの仕事場工房に行って、ドアを開けようとしていたところ、反対側の向かい道路から、こちらに向かって何か、話しかけているヒトがいた。車は往来しているものの、会話すべき相手、その人と私しか見当たらない。
としても、それが誰だか判らない。
少し離れていたので、歩み寄って「あーの誰でしょうか?」と、いいかけて思いだした。昔、写真を良く撮ってくれた〇〇さんだった。と云っても正確な名前は知らなかった。
でその人が先に「〇×」さんだよね、と名指ししたので、その声の質感と、顔、そして身なりを確認して、それが誰であるか思い出した。多分、10年15年のブランクがあったように思うが、その殆んどを忘れていた。その相手は、私のことを昨日のことのように話してくれた。
重松氏のいう、相対的関係性は、ここでは存在しなかった。
その道路上で、数分後に50ccバイクが転倒した。幸い、後ろの車は、それに気付いて咄嗟にとまった。急いで、そのバイクに駆け寄り、車体を起こして道路脇に、寄せた。その運転手、女性でかなりの高齢。
「ばあちゃん幾つ?」
「フエー、八十になった」
えええ、後は話しどころではない。車体を立て直し、後ろからバイクをサポートし、ハイ出ますよ、と声をかけると、そのまま走り去った。せめてお元気で。(〇〇さんの件とはリンクしない。僅かの時間差)
宇宙のG線上
オミクロンの脅威が世界を覆っている。日本においても、その罹患者が空港で発覚した。ニュースによれば、その便の同乗搭乗者70人がいて、検査は陰性だったという。
それ以上のことは判らない。情報ニュースとは、結果報告であり、特ダネスクープだとしても、数秒僅差のはなしで、ミライ系時間を覗いたわけではない。
とすれば、この記事にしても同じで、「オミクロン」は12月より世界感染拡大する、とはならない。未来は仮想であってリアル現象をいっているわけではない。
アインシュタインの理論、1915年の相対性物理学は、いまでも未来を予想していない。光速時間の不変原理がある限り人間は、その宇宙枠から出られない。
まったく「孫悟空」の漫画そのものだ。
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