見出し画像

カム・トゥゲザー(ジョン・レノン)


随分、昔のドキュメントをu -nextで観たが、まったく色、褪せていなかった。それでも、そのジョン・レノンという人物を直に知る若い世代は皆無だし、「ビートルズ」と云っても判らない世代が、随分増えてきた。

と昨日、書きましたが、

意に反して、ビートルズ、「ジョン・レノン」が好評でした。知らないかと思いきや、若い人もレノンが好きだったようです、安心しました。

「カム・トゥゲザー」について続きを書きます。



ウイキペディア


「イマジン」と双璧の「カム・トゥゲザー」は、ビートルズ、ラストステージに相応しい名曲でした。

私が唯一、もっていたアナログ盤レコードがこれです。50年前、原宿(表参道)で仕事をしていたころ、「皆川オーデォ」レコード店で買ったものです。その当時は、頻繁に聴く、と云うことではありませんでしたが、後に人気がでるという稀な楽曲でした。

数年前、同じ曲をクラシック畑の若手奏者が、クラシック風にアレンジして、動画で人気でした。

今回は、黒人ギタリスト、「ゲイリー・クラーク・ジュニア」の「カム・トゥゲザー」です。

このカム・トゥゲザーは、ゲイリー・クラーク(ブルース・ミュージシャン)1984年2月15日(39歳)によるもので、1970,年代のジミヘンを彷彿とされるギタ―を弾いて、その実力を発揮してみせました。まさに完璧なギターテクニックでした。

■楽曲情報 ゲイリー・クラーク・ジュニア「カム・トゥゲザー」
カム・トゥゲザー
タイトルの「カム・トゥゲザー」には、”集まる”、”一体になる”という意味があります。また、ドラッグや性的な意味で ”イク” 事も意味します。
ハーバード大学で幻覚剤を研究した心理学者ティモシー・リアリー博士(Timothy Leary 1920-1996)がカリフォルニア州知事選に出馬表明した際、ジョンが彼を応援する為に作った曲だと言われています(実際には、ティモシー側の要請に対し、ジョンはそれに合った曲が作れず、代わりに完成したのが『Come Together』だったようです。しかし、ティモシーはマリファナ所持で逮捕され、選挙運動は中止となりました。)

<歌詞和訳>Come Together – The Beatles 曲の解説と意味も
2019-08-122022-05-26[Abbey Road],[シングル曲(UK) Beatles],Beatles 歌詞和訳[表現] ドラッグソング

歌詞と和訳 

Written by John Lennon
Shoot me(×4)
撃ちなよ
Here come old flat-top, he come groovin’ up slowly
He got ju-ju eyeball, he one holy roller
He got hair down to his knee
Got to be a joker, he just do what he please

奴(ジョージ)は古いフラットトップ<のアメ車>でやって来る、ゆっくりとタイヤ痕を付けて
憑りつかれたような目をした、狂信者さ
膝まで髪を伸ばし
とんだ食わせ者さ、好きな事しかやりゃしない
・flat-top フラットトップ。頂点を平らにした形状(角刈りや空母を指します)
 ここでは1960年頃に生産されたアメ車(cadillac flat top)を指していると解釈しました
奴(ポール)に靴磨きなんて要らないよ、汚れた足でフットボールしてる
ラリった手つきで、”コカ” をキメる
奴は言うんだ「お前は俺を知ってるし、俺はお前を知っている」
俺が一つ言えるのは、あんたは自由に(ソロ活動で?)やりなよ

・shoeshine 靴磨き
・toe-jam 足の爪に汚れが溜まった状態をこう呼ぶそうです
・monkey finger 直訳すると「猿の指」。その後の流れから上記のように訳させていただきました。

Come together, right now
Over me

さぁ一緒に、今すぐ
俺の上で  Shoot me(×4)

撃ちなよ

He bag production, he got walrus gumboot
He got Ono sideboard, he one spinal cracker
He got feet down below his knee
Hold you in his armchair, you can feel his disease

奴(ジョン)はバッグの活動家(バギズム運動)、”セイウチ” のゴム長靴を履いて
オノ(ヨーコ)を隣に乗せて、背骨をケガさせちまった
膝より低くひざまづく
奴の<”腕に”ではなく>肘掛け椅子に抱かれたら、奴の病気に気付けるのさ

・bag production 直訳すると「バッグ製品」ですが、ジョンとヨーコが行った活動「バギズム」を指しているようです。詳細は後述します。
・walrus セイウチ。ビートルズの曲『I am a walrus』にかけていると思われます。
ちなみに、映画「Magical Mistery Tour」でウォルラスの着ぐるみを着ていたのはジョンだそうです。

マジカル・ミステリー・ツアー [Blu-ray]

・spinal 背骨、脊髄の

Come together, right now
Over me
さぁ一緒に、今すぐ
俺の上で

Shoot me, shoot me
Right!

撃ちなよ、撃ちなよ
いいぜ!

Come, come, come, come

さぁ、さぁ、さぁ、さぁ

He roller-coaster, he got early warnin’
He got muddy water, he one mojo filter
He say, “One and one and one is three."
Got to be good-lookin’ 'cause he’s so hard to see

奴(リンゴ)はジェットコースター、奴は最初の警報
泥水<のような人間関係>をろ過する魔法のフィルター
奴は「1足す1足す1は3」<ビートルズは3人になった?>だと言う
奴はきっと色男さ、よく見えない場所にいるからね

・early warning 初期警告
・mojo ブードゥー教のまじない。転じて魔術やドラッグを表現するスラングとしても使われるそうです。
 また、前後の言葉からブルースシンガーマディ・ウォーターズの『Mojo Workin』にもかけているようです。
Got My Mojo Working [DVD] [Import]

Come together, right now
Over me

さぁ一緒に、今すぐ
俺の上で

Shoot me, shoot me, shoot me, shoot me
Ugh!

撃ちなよ、撃ちなよ
あぁ!

Come together, yeah
Come together, yeah
Come together, yeah
Come together, yeah
Come together, yeah
Come together, yeah
Come together, yeah
Uh…
Come together, yeah
Come together, yeah
Come together…

さぁ一緒に、そうさ

言葉の解説
・bag production(⇒ Bagism バギズム)

バギズムとは、1960年代末にジョンとヨーコによる平和運動の一つとして行われた活動です。

袋(Bag) の中に入り、肌の色や性別、服装、年齢などの外見に関する情報を隠す事で、偏見や固定観念を無くしたコミュニケーションがとれる、と考えたそうです。



■ジョン・レノン、アメリカルーズヴェルト病院で23時死亡。満40歳没(享年41)
1980年12月8日の午前中、自宅アパートのダコタ・ハウスでジョンは彼の反戦運動やその影響力を嫌った「CIA関与説」などの陰謀説も推測されたが、公式には単独犯行と断定されている。
ニューヨーク州法に基づいてチャップマンに仮釈放があり得る無期刑が下った。チャップマンは服役開始から20年経過した2000年から2020年に至るまで2年ごとに仮釈放審査を受けたが、本人の精神に更生や反省が見られないこと、妻子への再犯の確率が高いこと、ジョンの遺族が釈放に強く反対していること、もし釈放されたらジョンのファンに報復で殺害される危険性があるとして仮釈放申請を却下され、2023年現在も服役中である。

レノンの行う「反戦活動」に対して共感するファンも多く、当時レノンがイギリスで大麻所持により逮捕されたために、アメリカへの再入国が許可されなかったことを、「レノンの『反戦活動』による若者への影響を嫌うニクソン政権による嫌がらせ」などある。 引用記事

当時レノンは政治的に反戦運動に加担していて、その相手がニクソンだったこともあって政治的暗殺、だと懸念されだが、真実はいまも解明されていない。

もちろん、カム・トゥゲザーは、そのずっと昔の曲で、そんなことを微塵も感じさせませんが、詩の端はしには、反体制的な片鱗は覗いているようにかんじました。

今生きていたら、どんな曲を歌っているか、という思いますが、やっぱりそれはカム・トゥゲザーとか、イマジンの別バージョンではないかと、思います。

最後になりますが、アメリカ人アーティスト、著名人、天才音楽家、ギタリスト、少し前のジャズのパーカーにしても、ドラッグから切れなかった。最終的にはそれで命を落としている。残念な話しですが、死んだものは生き返らない。
そしていくら回顧話ししても、本人はそこにいないという空虚は穴埋めすることができません。その因果関係は、筆舌につくし難いものですが、それにもまして必須アイテムとして彼らは重用したかったのでしょう。人間の儚さを語るには、これ以上の文言は、どこ捜してもみあたりません。

追記 ドラッグ・ソング

歴史に残る「ドラッグ・ソング20選」
コントリビューター 久保 憲司/(リード文:田中宗一郎)2018.07.27
https://www.fuze.dj/2018/07/drug-songs-20.html
ドラッグとポップ・ミュージックやロック音楽との関係というと、ここ日本ではいまだセックス・ドラッグ&ロックンロールという古のスローガンが有効だった時代のミュージシャンたちのスキャンダラスなライフスタイルを連想してしまうかもしれない。

だが、こんな風に考えてみてはどうだろう。

ポップ・ミュージックこそが社会の状況や、そのドラスティックな変化をもっともカジュアルに、かつ、もっとも瞬間的にアウトプットすることが出来るアートフォームであり続けてきた、と。リーガルであれ、イリーガルであれ、ドラッグの存在は、有史以前から大方の市井の人々にとっては何かしら険しく、不条理であり続けてきた社会や現実のダークサイドを表象すると同時に、そうした現実から少しの間だけでも逃れたいという慎ましやかな希求をも表象してきた、と。

つまり、チャック・Dの「ヒップホップは黒人コミュニティのCNNなんだ」という言葉を例に挙げるまでもなく、様々な時代、様々なコミュニティにおけるドラッグと関係したポップ・ソングは、その時代に起こった急激な変化を誰よりも最初に世の中全体に知らすべく、炭鉱のカナリアの叫び声として機能してきた、と。

要するに、何かしらドラッグと関連したポップ・ソングの歴史を紐解くこととは、それぞれの時代の社会やその価値観の変化を知ることでもある。

思い出してみてほしい。現在ではイリーガル認定されているLSDにしろ、エクスタシー(MDMA)にしろ、当初は医療用に開発されたリーガル・ドラッグだった。と同時に、北米を中心とした現在のポップ・ミュージックの世界でもっとも話題に上っているドラッグの大半は、昨年若き白人ラッパー、リル・ピープを死に至らしめたザナックスを筆頭に、リーガルな形で処方された抗うつ剤であり、マイケル・ジャクソンやプリンスを死に至らしめたと噂されているオピオイドもまた医療用に処方されたリーガルなドラッグだ。

そもそもある特定の時代に個々のコミュニティの法律があるひとつのドラッグをリーガルなものとして認めるか否かは、アメリカの禁酒時代を例に挙げるまでもなく、それぞれの時代、それぞれのコミュニティや国家における政治と経済に左右される極めて恣意的なものだ。そうした法規制の判断が、どんな時代も常に変化し続ける社会や、それに翻弄される市井の人々の生活の変化のスピードに追いつくことはこれから先もないだろう。ドラッグにしろ街の治安にしろ、法による闇雲な規制は、社会の暗部がそこからの抜け道を必死に模索することを加速させ、そのことがさらなる多くの犯罪と悲劇を生み出してきたことは歴史が証明する通り。

だからこそ、そうした社会の変化を恐れて、偏見によって蓋をすることで安心するのではなく、文化やアートを通して、まずその実相について理解することが先決だろう。
ここ日本ではいまだ「麻薬」と呼ばれるマリファナが、医療面からもビジネス面からも世界的に見直しが図られている現在だからこそ、今一度、「ドラッグ=スキャンダラスなライフスタイルにおける悪行」といった偏見を超えた場所から、ポップ・ソングとドラッグの関係を通して、ここ半世紀における社会と価値観の変遷に思いを馳せて欲しい。以下の20のポップ・ソングは、社会やそこに暮らす人々の価値観が大きく舵を取った時代の変化を克明に記した、歴史を知るためのランドマークなのだ。カルチャーとは、アートとは、その時々の時代に歴史を進化させる触媒として機能すると同時に、今へと至る歴史を雄弁に語る証人でもある。

本企画の選曲と執筆を依頼したのは、言わずと知れた日本を代表するロック・フォトグラファーであり、ドラッグとポップ・ミュージックの関係とその重要性を、時にユーモアを交えながら、ドライかつ的確に論じ続けてきた久保憲司。以下の記事を、これまでの歴史を知るために役立てて欲しい。そして、これから先の時代の変化に対処するためのヒントとして活用してもらえれば幸いだ。(田中宗一郎)

オススメ記事:映画『ブラックパンサー』は本当に傑作なのか?
ーーブラック・ライヴズ・マター以降/トランプ政権誕生以降の「ブラック・コミュニティ発ドラマ表現」を巡って|小林 祥晴

1位 The Beatles / Day Tripper(1965)
2位 Soft Cell / Memorabilia(1981)

ビートルズのドラッグ・ソングの代表と言えば“ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンド”だが、あっちはLSDというより、ジョン・レノンが感じたヘロインの心地よさと不安定な感覚が生んだ名曲。なので、ジョンとジョージ・ハリソンの初めてのLSD体験から生まれたであろう名曲を1位に選びたい。それがどういう体験だったかというと、乱交パーティーをしたかった歯医者さんに、黙ってLSDを盛られてしまったというもの。「お前ら、どうせディ・トリッパーなんだろ、俺たちはロックンローラーだぞ、遊びじゃないんだぞ」という歌詞に込められた皮肉から、ジョンの怒りがうかがえる。でも、ここからドラッグとは切っても切り離せないビートルズの大冒険が始まったのだ。

LSDが大きな影響を与えたサマー・オブ・ラブは67年に始まって、69年のオルタモント(フェスで人が殺される事件が起きた)で終わるという短い運命だった(LSDはスティーブ・ジョヴズに影響を与えたりもしたので、その革命は今も続いていると言えなくないが)。でも、MDMA(通称、エクスタシー)が引き金を引いたセカンド・サマー・オブ・ラブは88年に始まり、ミレニアムまで続いた。1999年のラブ・パレードには150万人が集まっている。サマー・オブ・ラブの象徴であるウッドストックの3倍、ワイト島の2倍。とんでもないムーブメントだったけど、それに先駆け、誰よりも早くMDMAをやって録音されたのがこの曲。しかも、それがアシッド・ハウスと同時期というのがすごい。81年ですよ。

3位 The Clash / (White Man) in Hammersmith Palais(1977)

I'm the all night drug-prowling wolf

Who looks so sick in the sun

I'm the white man in the Palais

初めてロンドンに行った時、ハマースミス・パレーがコンサート会場だったということに気づいた。平日は、ギャング・オブ・フォーとかキリング・ジョークとか、当時勢いのあったポスト・パンク・バンドが観れる千人規模のライブ・ハウスだった。だが、金曜日と土曜日の深夜は、この曲で歌われているように、フォー・トップスがかかるようなチャラいディスコになる。それを見て僕は、ジョー・ストラマーはUKレゲエのトップ・アーティスト、ケン・ブースを観に行ったつもりが、間違ってそのチャラいディスコの時間に行ったんだと思った。それくらいジョーは飛んでいたんだと思う。「ウワー、ジャマイカからの最新アーティスト、デリンジャーにこんなに人が集まっている!革命が起こせるぜ!」と思ったのも束の間、酔いが覚めてくると、ダサいチャラチャラした格好でチンタラ踊る客ばかり、何も変わっていないことに気づく。「あっ、俺、間違った日に来ちゃったんだ。俺は幻覚を見たんだ」とフロアーに座り込む。「みんな、俺を笑うがいい。俺はただのぶっ飛んだ白人。今日は俺のことをほっといてくれ」と泣き叫んでこの歌は終わる。まさに小説のような歌。

4位 The Ramones / Now I Wanna Sniff Some Glue(1976)

Now I want to sniff some glue

All the kids want to sniff some glue

Glueとはシンナーのこと。ロック・アーティストもシンナー吸うのか、とびっくりした。オアシスのリアム・ギャラガーも百円ライターのガスを吸っていて、びっくりしたけど。僕はあまり人に「何々しない方がいいよ」というのを言わないタイプなんだけど、さすがにこの時は「体に悪いから、絶対やめ」と言った。ジミ・ヘンドリックスのドキュメンタリーを見たら、ジミヘンもシンナー吸ってて、この時もびっくりしたな。あの神様がシンナー吸ったら、あかんやろ。ヤンキーかと思った。みんな貧しい時はどんなものでもいいから頼って飛びたいのだろう。

この曲の意味は、「パンクは負け犬」ということだろう。マリファナ、コケイン、ヘロイン、そんな高級なものは俺たち吸えないぞ、という歌。のちにイギリスの超重要パンク・ファンジンの名前にもなった。ジョーイ・ラモーンとディ・ディーは肉体労働しながら昼休みにシンナーを吸い、48丁目の楽器街でギターを見て、スターになることを夢みていた。いい話やん。いや、もし僕がその場にいたら、「体に悪いから止めとき」と言ったと思う。

5位 Bob Dylan / Mr Tambourine Man(1965)

Take me on a trip upon your magic swirlin' ship

My senses have been stripped

I'm ready for to fade

Into my own parade

1964年のニュー・ポート・フェスティバルで、ボブ・ディランがギター一本を抱えてこの曲を歌う有名な映像がある。ボブ・ディランもそうだし、お客さんも全員真面目な学生さんみたい。でも、この時、ボブ・ディランはLSDを知っていた。なぜそんなことがわかるかというと、この歌がそういう歌だから。この歌はたぶん、ジュディ・コリンズの家でのアシッド・パーティーの模様を歌ったものだろう。ニュー・ポート・フェスティバルで、ディランはこの歌を学生みたいに歌っているけど、本音は「お前ら、LSD知らんやろ」と完全に上から目線だったと思う。ボブ・ディラン、やらしい奴め。いつもあの黒いサングラスの向こうの目は冷ややかに笑っている。これからすごいことが起こるんだぞ、とボブ・ディランはすでに予感している。そして、この歌の通り、3年後にはみんなアシッドをやって、髪を伸ばし、上半身裸でウッドストックに集まるのだ。

6位 The Stone Roses / She Bangs the Drums(1989)

Kiss me where the sun don't shine

The past was yours

But the future's mine

You're all out of time

ボブ・ディランの“ミスター・タンブリンマン”と対になった曲。歌詞を読めば、イアン・ブラウンが“ミスター・タンブリンマン”の歌詞を下敷きにしているな、と思えるところが幾つもある。ただ、“ミスター・タンブリンマン”はアシッド・パーティーだったが、こちらはレイブの光景を歌にしている。タンブリンマンもDJだったが(ディランはタンブリマンに「タンブリン叩いてよ」なんてお願いしていない、「なんか曲をかけて」とお願いしているのだ)、イアン・ブラウンはDJが新しいレコードに針を落とした時に世界が動き出すことを確信する。ディランの予言も、イアン・ブラウンの予言も偶然だと思うが、世の中は彼らの予言の通り、革命が起こった。LSDやっても、エクスタシーやっても、世の中が変わっちゃうと思い込んでしまうから、当たり前のことかもしれないけど。

7位 Primal Scream / Higher Than The Sun(1991)
以下割愛


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?