『時間のかかる彫刻』感想 理屈屋の救済

前書き

 私は考えるのが好きだ。なんにしたって戦略を立てたり、分析したりしてみたい。本質を知りたい。
 その一方で、考えることに囚われてしまうことがある。多くの要因を意識できるということは、必要以上に多くのものに縛られるということでもある。暗闇の中を怪我をしないように進もうとして、ありもしない障害物を避けて必要以上に身を縮こまらせているようだ。そのうちどこにも行けなくなってしまいそうな恐怖すら感じる。
 本書のヒロインの言葉に、思わず膝を打った。

「つまりね。あなたが熱いストーヴに手を置いたときは、どうしたら火傷をしないですむだろうって自分にたずねるんじゃない? その答ははっきりしているわね?」

本書について

 『時間のかかる彫刻』は、同名の短編集に収録されたシオドア・スタージョンによる短編である。スタージョンは20世紀アメリカを代表するSF作家のひとりで、そのロマンティックな作風からブラッドベリやヤングと比較されることが多い。

 胸にしこりを見つけ、家族の命を奪ってきた乳がんに対する恐れで動揺した娘は孤独な理屈屋の科学者と出会う。
 彼の発明によって彼女の乳がんは治癒するが、発明を称賛された科学者は彼女を拒絶する。問いかけをやめず、ひたすら良いものを探求してきた彼の発明の数々はこの世に受け入れられるどころか、むしろ拒絶されてきたのだ。

「砂漠を緑にして花を咲かせる方法を教えられても、そこで殺しあう方を好む人間どもの世界、石油依存は我々の命取りになると繰返し叫ばれていながら、何十億もの金が石油を掘り当てる競争に注ぎこまれている世界、そんな世界で一体何ができるというんだ?
そうさ、ぼくは怒っている。怒らないはずがないじゃないか」

平行線を行く理屈屋

 この短編の非常に愛らしいところは、理屈屋の科学者のキャラクターが非常に立っている点だ。
 「次に必ず質問を続けるという思考方法」を奉じる彼の会話は独特だ。目の前の娘が泣き出せば、心配の言葉をかける前に「どうして?」と尋ねる。

「あたしは死ぬのよ!」
「ぼくだってそうだ」
「胸にしこりがあるの」
「家へ来なさい。なおしてあげよう」

 こんな調子で、ひたすら問題の解決に進み続ける。

 彼女は当初は男のやり方に困惑するものの、思慮深く、クレイバーな切り返しを見せる。

「想像もできないわ」彼女はようやく口を開いた。「ただ、状況によっては理性なんて役に立たないってことはあるわね」
「想像できるじゃないか」

 あまりにロジカルで正確で独特な二人のやり取りは文中でしばしば「共感」と形容され、それが高まっていく期待を読者に感じさせる。

 しかし、理屈屋は理屈屋ゆえに、わき目も振らず突き進んでしまう。一度否定された道は選択されることがなく、残った進みづらい道を行く。過去の不和を忘れられず、人間、ひいては世界への信用を失って、それを疑わない。

「あなたはたぶん、正しい質問をしているんじゃなくて、ただ次の質問をしているだけなのよ。」

 彼女はそんな言葉で世界を拒絶する彼を引き戻してみせるのである。

"時間のかかる彫刻"

 タイトルの"時間のかかる彫刻"とは、科学者が趣味としている盆栽のことだ。植木と対話し、ある方向に日光を当てたり、針金を使ってみたりして望む姿に変えていく様子を形容している。しかし、その関係は決して一方的なものではない。個性的な植木たちは一筋縄ではいかず、彼らなりのやり方を人間に悟らせることで育っていく。
 盆栽は人間と植木の和解の積み重ねで形成されるのだ。

 科学者の盆栽を見た彼女は、その有り様を人間関係と重ねて科学者に教示してみせる。
 そして、予定調和的でどこか回りくどいような(しかし彼らにとっては筋の通った)提案をしてみせる。

 短編集『時間のかかる彫刻』の原題は『スタージョンは健在なり』で、恋多きスタージョンが四回目の結婚生活のなかで仕上げたノリにノった一冊である。表題作である本編はどうしようもない世界、どうしようもなくねじくれた登場人物への救いを感じる、特出して深い愛に満ちた作品だった。

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