榎本博明『〈ほんとうの自分〉の作り方』感想① "ありのままの自分"なんて存在しない

前書き

 私はオースターのNY三部作を溺愛している。これらは端的に言えば、自分と他人の境界がなくなっていくさまを探偵小説仕立てで書いた作品群である。

 これは現実の世界でもしばしば起こりうることで、人は赤の他人に影響を受けて自殺さえしてしまう。1903年には投身自殺した青年・藤村操の遺書が反響を呼び、多くの自殺者が現れたことで彼が身を投げた華厳の滝が自殺の名所となってしまったという話もある(自殺の連鎖現象は『若きウェルテルの悩み』の主人公からとって"ウェルテル効果"と呼ばれるらしい)。

 離職中でとりとめもない日々を送っていた自身の現状もあり、アイデンティティの拡散に興味を持った私はアイデンティティ確立の手段を授けてくれそうな本書を手に取った。非常に興味深く親しみのある内容だったので、ここで紹介する。

"ありのままの自分"などない

 本書では"ありのままの自分"といった欺瞞は持ち出されない。

社会的役割を脱ぎ捨てた自分などというものはないのではないか(p41)

 とばかりに、明確に否定されている。

 仕事での役割、性的な役割、家族での役割、それらを取り去った先にありのままの自分がある! というような巷に蔓延するストーリーは簡潔でわかりやすい。しかし、「それらの属性をすべて取り去られた後のあまりに曖昧で漠然とした自己の存在をどう保証してくれるのだろうか?」「取り去った先は解放されたように見えて、別の役割を演じることにシフトするだけなのでは?」という疑問が拭いきれず、私は嫌悪感を持っていた。

 では、どんな自分を"ありのままの自分"と規定すれば私たちは安心できるのだろう? その問いに、本書は私にとって納得のいく解答を提示してくれた。

自分探しとは、"自己物語"を定義する試みである

 それは、"ありのままの自分"を"自分の納得する自己物語にしたがって生きる自分"とする方針である。

 本書で定義される自己物語とは、自分のこれまでの人生の出来事を物語的解釈を加えて取捨選択・編集し、意味を持たせたものである。かのニーチェは

「事実などない。あるのは解釈だ。」

なる名言を残したとされている。出来事だけ並べれば無作為で無秩序な世界から、自分にとって意味のあるものをくみ取って意味付けしていくわけである。

 たとえば、私は食事を残すことに強い抵抗があるという性質を自覚している。
 なぜそうなったのか考えてみると、小学生時代に給食を食べるのが遅く、6年間ずっと昼休みを越えて掃除の時間まで食べさせられていたことが真っ先に想起される。
 このほかに、「同じように給食を食べるのが遅かった〇〇くんは給食でそうめんが出た時にめんつゆまで綺麗に飲んでいたなぁ」という思い出や、「うちの母親は料理は上手いけど作りすぎるきらいがあって、家族で一番食べる私が残り物を一手に引き受けていたなぁ」という経験などが根拠として加わり、性質を説明することで「食事を絶対残すことができない私」の自己物語になるのだ。

 スタンフォード監獄実験(被験者を囚人と看守にグループ分けして演じさせた実験。時間が経つにつれて囚人役はより囚人らしさ、看守役はより看守役らしさをもつようになった)に現れているように、人には行動に一貫性を求める強い欲求がある。役割を演じればその方向に変化していく。
 自己物語を作ることで自分がどんな役を演じているのかを自覚すれば、自己の行動に一貫性を保ちやすくなり、アイデンティティが保証されて安心につながる。
 さらに、「私、ご飯残すのだけは絶対に嫌なのよね」と同胞と共有することができればなおよい。その感性が自分だけのものではないと確認できて不安を和らげることができたり、外の世界の中に自分の経験を位置づけることができて、よりアイデンティティの安定感が増すわけである。

生きづらいときは"自己物語"を書き換える

 人は多かれ少なかれ簡単に解決できない悩みを持っている。考え続けたり誰かに話してみることで解決方法がぽろっと出てくることは少なく、グルグルと停滞してしまうわけである。

 本書では、"自己物語"を書き換えることで生きづらさを解消していこう、という方針が打ち出されている。

 過去に起きた出来事は絶対に変えられないし、自分の性質を変えることも困難だが、それらに対する解釈は変えられる。
 中学生の時、修学旅行でテーブルの残り物をすべて引き受け続けたことでお腹を壊して以来、私は自分の手に届く範囲外の食事を残さないことは義務ではなく努力目標にしようと心に決めた。楽しくあるべき食事を義務で苦しいものにしてしまうのは、残す以上に食への冒涜であると解釈を改めたからである。以来、残したものの処理を引き受けるのは一人分までと決めている。

 これまでと同じ自己物語で生きている以上は行動パターンや思考パターンを変えることはできない。しかし、新しい納得のいく都合の良い解釈を生み出せばそれに沿って行動するようになり、結果現状打破を達成できるというわけである。自分を変えると言っても難しいしイメージをつかみづらいが、解釈を変えるということならわかりやすい。大いに膝を打った。

②へ続く

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