蜘蛛の糸は垂らされまい
幼稚園から小学校低学年くらいまではバッタやカエルは手づかみだったし、ダンゴムシやカタツムリを見つければつんつんと指でつつけるくらいには虫が好きなタイプだった。記憶が正しければ。
けれど、いつの頃からだろうか。
虫ってやだな、怖いなって思うようになっていた。
大人になった今となっては、指でさわるなど以てのほか。
家の中でうろつく虫を見るたびに「なぜ! 視界に! 入るの!?!!!」とキレそうになる。いや、だいたい叫んでしまってるけれども。
できるなら虫はころしたくない。
後片付けもしたくないから、私の見えないところでなら家の中を縦横無尽に活動していてくれてぜんぜんかまわないから。
心の底からそう思う。
ただし黒光りする恐竜の時代から生きているヤツ、おまえは除く。
今日はそんな、虫に関わるお話です。
目をそむけたくなるような話でもあるので、虫嫌い、あるいは痛みを想像しやすい方はこの先をお読みにならないようお願いします。
私もなんて残酷なことをしたのだろうって思っている。
天気がよかったので、室内へ掃除機をかけた。
掃除機をかけるなら、といざ窓を開け、網戸の状態でがーがーとかけた。
ちょっと掃除をサボっていたのでとてもやりがいがあった。
ひととおり掃除機をかけ終えて、すっきりした気分でいた。
ところが妙に寒い。
そういえば窓を閉め忘れてたなぁ……窓の外、遠くの夕焼けに目を細めて、私はがらっと勢いよく窓を閉めた。
いつもどおり、「がらっぴしゃっ」となるものだと思っていた。
ぴぃっ
窓が閉まる音にしては変な音がした。
なにか挟むものあったかな……と下から目線を上げていくと、そこには体長5センチメートルのくもが、見事にからだのど真ん中で挟まれていた。
ひぃぃいいい!?!!!!と内心で声をあげた。
まって。どうして。
なんでそんなタイミングよく。
私が確認しなかったせい!?!!!!
ぴくぴくと足を動かすくもを見て、挟まれた痛みと、その状況を想像して絶望しそうになる。
おそろしくてまじまじと見ることはできなかったが、おそらく、頭のてっぺんからお腹にかけてを挟まれたのだと思う。
ぴぃっというのがくものなきごえか、はたまたおなかがつぶされた音なのかはわからない。
これ、生きていけるの……?
自分がしでかしてしまったことに思わず身を震わせた。
家に母がいたので、思わず階段を駆け下りて「あの、窓にくもを挟んじゃったんだけど」とどうにかこうにか伝えて、見に来てもらうことにした。
母からしたら、「また、くもくらいで」と思われたかもしれない。
いや、普段の私なら、くもかぁ……私の領域を犯さないんならどうぞお好きに、と思う。
もし踏み入って来た場合にはなるべくお帰りいただくようにする。
どうにもならないときに母や父を呼ぶ。
そういう風にしている。
「まったく……」
そう言って、私の部屋の窓を見上げた母は一瞬黙り込んだ。
窓と窓の互い違いになったところ、本当にど真ん中で挟まったくもを見たせいだ。
「これは……」
「母さん、これを見て混乱しない人はそうそういないと思うの」
見事に窓のあいだに挟まり、一瞬にしてぱっかーん!となっていたら、くもは過たず両断されてお亡くなりになったんだと思う。
けれど、勢いよく窓を閉めたわりに、跳ね返ってくることを恐れた私は無意識に閉める速度を手加減していた。それが、くもの生き死にを分けたのだと思う。
母は窓を開け、くもはよたよたと室外へと動いていった。
ぽたり、と体液が滴った瞬間を見てしまい、私は息を呑むしかなかった。
窓ガラスに、その跡が残っている。
母は、くもがよろつきながら窓ガラスの下へとおりていこうとするのを確認し、レースとカーテンとをざっと閉めた。
「乾燥したら落ちるでしょ」
想像するだにおそろしいことをしてしまった。
なんておそろしい。むごいことを。
「蜘蛛が邪魔だ、殺そう」
もしもそう意図していたならば、こんな気持ちには決してならなかった。
殺す覚悟を決めてすらいなかった私は、このしでかしてしまった行為をいったいどうつぐなえばいい。
せめて、一瞬で死なせてあげていたら、と思うのは私のエゴだろうか。
ある意味一度で仕留め損ねた私には、きっと蜘蛛の糸は垂らされまい。
……明日の朝、カーテンを開けるのが怖い。
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