見出し画像

専業株式投資で生計を立てようと企てました -1-

今回は、少し私のことについてお話しますね。


私は2006年の1月から
自宅で株式投資をして生計を立ててきました。
ちょうど、ライブドアショックという事件が起きた同じ月です。



当時は、高速ネット回線の普及が全国に広がり、パソコンも高性能なものが手軽に入手できるようになっていました。



証券取引の手数料も、ネット証券各社が値下げ競争を繰り広げ、株式売買のソフトをほとんど無料で提供していましたので、個人がやろうと思えばすぐにでも自宅でネットトレードがはじめられる環境が整いつつありました。



自宅にいながらパソコンの画面を通じて、証券取引所の売買状況をリアルタイムで見ることができ、しかも見るだけではなく、マウスのクリック一つで売買できると知ったときはとても驚きました。



雑誌や本を開くと、『デイトレーダー』と呼ばれる、何やら得体のしれぬ、新興成金のような人が取り上げられていました。



「家でパソコンに向かってマウスをクリックさせるだけで生計を立てる」そんな自由な暮らしが手に入るかもしれない。


当時の自分の目には、とても目新しく、画期的なものに映りました。人生の可能性を広げるまたとないチャンス。そんな期待感を抱いたのだと思います。


そうなると、なにやら居ても立ってもいられなくなり、すぐに



・デイトレード・テクニック
・スーパーデイトレーダーの一日
・チャートの読み方
・空売りの練習本
・ウォーレン・バフェットの言葉
・ファンダメンタルズ分析法
・会社四季報

などなど...



見境もなく投資関連本をどっさりと買いあさり、トレーディングのお勉強を始めました。準備を怠って大切な元手を失う訳にはいきません。


本棚に、当時の本が少し残っていました(笑)

画像1




実は、元手(軍資金)は、ここぞというときのために取ってありました。


肉体労働で頑張れば、いきなり月給27万円もらえました


私は高校卒業後、放送大学という通信制の大学で主に芸術史を学びながら、昼は引っ越し屋、生鮮市場で働き、夜は、新聞配達をして収入を得ていました。


そのような生活をしていたのには理由があり、私には音楽家として身を立てたいという人生を通じた想いがありました。子供のころから音楽を聴くのが好きで、長い時間、FMラジオの前で次にかかる曲を楽しみにしながら過ごしていたことを思い出します。


音楽を中心とした生活をするために生きて行きたいと願っていました。



住まいは、一人っ子ということもあり、両親の実家に同居させてもらっておりましたので、経済的な面、生活の面でも、とても恵まれた環境にあったと思います。


しかし、今のままでは将来的な見通しの立つ収入の柱があるとは言えず、体力的にもいつまでも続けていくことは難しいと感じていました。


たくさん運搬物を運んだり、重いシャッターの開閉をしているせいで手首の関節を痛めてしまい、それが慢性化していましたし、生鮮市場で段ボールを引っ切り無しに開けていると、指先の皮膚が分厚くなって、楽器を弾くときに支障が出るんです。


何か、いい稼ぎ方はないものだろうか?




そんな時に、自分の目の前に現れたのが『ネットトレード』だったんです。


本によるお勉強は準備万端でしたので、元手となる180万円を証券口座に入金し、とりあえず最初の銘柄を買ってみなきゃだめだと考えていました。


確か、テクニカル的に何らかの買いの形が出ていたので、手始めに指値(さしね)の注文を入れることにしました。


少し緊張しましたが、発注自体は自分の買いたい銘柄の値段と暗証番号をツールに入力するだけです。初めて買った銘柄は忘れないもので、


『リソー教育』という銘柄でした。

つづく

https://note.com/288cla5513/n/na81509143ad3


お読みいただき、ありがとうございました。

この記事が参加している募集

お立ち寄りくださり、ありがとうございます。皆さまから頂いた貴重なフィードバックを、noteの改善に役立てて参ります。