記憶の思い出BOX
昔住んでいた社宅が取り壊されていた。
秋晴れがサイクリングを誘い、スーパーまで食材の買い出しにいってきた。
その帰り道の出来事だった。。
しばらく壊されるのを見つめる。
「確かに何年か前に、僕ら家族の物語はここにあった」
建物がなくなるということは、記憶もなくなるということだ。
その場所の窓から見える景色
入ってくる風
周辺の音
近所の声
その場所で、それらを感じることはもうない。
若かった自分、妻。幼かったこどもたち。
ここでの記憶を思い返す。
タイヤの凹みがそのままのアスファルト。
寒くて冬は温度差がガラスをびっちり曇らせる。
その大きなガラスに子供達はよく絵や、文字を書いていた。
狭いトイレ。水の勢いだけは激しかった。
アンパンマンの子供用ハンドルが付いた便座で下の子はオムツから離れた。子供がトイレに入っている時は「アンパーンチ!」がすぐ横のリビングに聞こえた。
壁に開いた丸い穴。
狭い部屋の中でも野球の練習をした。
その球の形そのままの丸い穴が、僕らのいた証拠としてずっとそのまま残っていた。
夏は暑くエアコンも無い。
玄関の簡易的なドアは沖縄のようにいつも開け放たれていた。
ゴロゴロテレビを観ているタイミングで、子供の友達がピンポンも鳴らさず遊びの誘い声をかけてくれたっけ。
身体も起こさず答えられる。
恥ずかしいが、とてもそれは便利だった。
安い中古の洗濯機は脱水時の激しすぎる振動揺れで、排水ホースを外し、家の中が池のようになったこともあった。僕らはそれから中古洗濯機に”歩く洗濯機”と名前をつけた。
寒い社宅はよく子供達が風邪を引いた。
下の子が夜に高熱で引きつけを起こし救急車を呼んだことがあった。それもこの場所だ。
風呂から上がると身体はリビングから丸見え。
寝室はひとつ。皆んなで川の字に寝る。
寝る前は大はしゃぎで毛布の取り合い。
明かりを消す時は照明に長い紐を足して、暖かい布団から手だけを伸ばして消せるようにした。
朝はその長くなった紐に、急ぐ身体が巻き付きストレスだった。
狭い部屋には物は制限される。
それはそれで良い点ではあった。。
人が変われば建物も変わる。
しかしそこに住んだ者には記憶という思い出箱が与えられる。
たまに通りかかるこの場所を、建物がなくなった後でも、ちゃんと記憶は残せるだろうか?
おじいちゃんになり、色んな記憶がおぼろげになる頃、今のような記憶はどうなるんだろう?
あの記憶は現実だったのか?
記憶を辿るための、あの時のロケーションはもう無い。
記憶をアップデート?誰か開発してくれ。。
大切な思い出の箱がまたひとつ増えた。
その箱を開ける時はいつになるのだろう?
僕の記憶がしっかりしていれば度々開けられる。
鍵をなくさずにちゃんと持っていよう。
大切な思い出なのだから。