いまを生きる感想ブログ~人物から掘り下げ編~

※長いです!!!!!時間に余裕があるときに読んでください!!!!!軽く9000文字強あります!!!!

いまを生きるの東京公演、会場が家から比較的近かったことと、自担の初めての外部舞台がどうしても見たい、という気持ちで、自分にできる限り最大限の感染予防対策(消毒スプレー持ち歩く、毎朝検温、外出を控える、マスクはこまめに変える、など)と、強く生きる心を持って何度か足を運びました。自分が感染者になることによって自担や舞台を作り上げてくださっている方々に迷惑をかけることはなんとしてでも避けたかったという思いで毎日いました。

いや〜〜〜〜〜最高の舞台だった!!!!!!!!!!!(クソでかボイス)

このご時世だからこそ響くものもあったし、きっとこんな世情じゃなくてもすごく考えさせられる物語でした!!!!

日に日に良くなっていくお芝居と、演者たちの気迫、また物語から強く出されていたメッセージ性に、今を生きる、ということに関して何度も何度も考えさせられました。また、時代が違えば、今を生きるということは、自分自身を生きていくということは、とても難しくなるのだなぁ、と初めて考えました。

なお、この下はネタバレ満載なただの感想レポになりますので、大阪、愛知公演を鑑賞予定の方は、なるだけ見ないことをおすすめします。
また、個人の感想のため、解釈違いや、演者さんが伝えたいニュアンスと受け取ったニュアンスが少し違う場合あります。

なお、私自身が基俊介さんを推しています故、基さんのことを多めに書いております。ご了承ください。

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話をどうやって書き始めたらいいかわからないので、キャラクターについて話しながら物語の感想をつらつら書いていこうと思います。


新くん演じるトッド・アンダーソンくん(以下、トッド)。彼がこの物語の中で、一番大きく成長した存在だと私には感じました。佐藤隆太さん演じるキーティング先生と、瀬戸利樹さん演じるニール・ペリーくん(以下、ニール)のおかげでどんどん心を開いていくし、二人のおかげで、どんどん自身をみせていくところは、個人的にとてもぐっと来ました。
初日の一番最初に出てきたとき、ぎゅっと手を握って、下を向いて、自信なさげに歩いてきたトッドを見て、心が締め付けられたことを覚えています。
そんな彼が、キーティング先生の詩の授業の中で、自身の心にある思いを吐き出すシーン。自分に自信がなく、ニールに「君は重大な問題を抱えてるようだ」と言われたとき「ただシャイなだけだよ」と答え、寮の部屋で二人で話しているときにニールに対して「君とは違う」と言った彼が、クラスメイトの前で、頭の中にあるものだけで即興の詩を作り上げることが、強く思いを叫ぶことが、今までのトッドの殻を破った瞬間に見えて、すごくすごく嬉しかったです。
実際、その後の新くんの演技も、それまでの演技とは少し違って、明るい表情も増えてましたし、クラスメイトとの関係性も遠くから見ているだけだったものが、輪の中に入っていて談笑していて、自分をちゃんと出せる存在が、ウェルトンに来たことによってできて、少しは親の呪縛から解き放たれたのかな、と思ったりしました。
ちなみに、そのトッドが殻を破ったシーン、もっと言うとその前までのシーン、ニールがトッドのことをめちゃめちゃ気にしてて、とてもいい関係性だな、と思いました。運命のめぐり合わせで出会って、同じ寮室になった二人ではあるけど、お互いがお互いのことを気にしていて、とても、いいな、と、思いました(エモ)。個人的に、ニールがトッド気にしてるシーンたちの中で一番好きなシーンは、初めての死せる詩人の会で、市川理矩さん演じるリチャード・キャメロンくん(以下、キャメロン)が、詩集を元気よくトッドに渡したあと、戸惑っているトッドに気づいた瞬間、トッドのもとに駆け寄り、その詩集を申し訳なさそうに預かった直後に「ノックス!」と言いながら影山拓也くん演じるノックス・オーバーストリートくん(以下、ノックス)に詩を読むことを進めるシーンです。私、途中までは、ノックスをからかうために三宅良輔さん演じるチャールズ・ダルトンくん(以下チャールズ)が持ってきた女性の姿絵(?)をどさくさにまぎれて、基俊介くん演じるスティーヴン・ミークスくん(以下、ミークス)がポッケにしまうところしか見ていなかったのですが、公演期間途中でそのシーンに気づき、双眼鏡が細かく揺れました………尊い………そうだよね…………読まなくていいって言ったもんね…………約束ちゃんと守ってる…………偉……………(限界)
トッドに関しては、最後のニールが亡くなったあとのシーンで、自分を出す前までは絶対になかったであろう意思を強く持ち、自分以外の人に意見する、という部分が出てきていて、鳥肌が立ちました。あそこ泣かない人います…?私は連日涙目でした。あんなに話すことが苦手だったトッドが、大切な友人の死に関して声を荒げ、仲間に意見するなんて。初日、トッドが出てきた瞬間の私に言っても信じてもらえないでしょうね………。
トッド、めちゃめちゃ難しい役だったと思うんですよね、そんな中、それを自分の中に落とし込んで、日に日により自分のものにしていった新くんは単純にすごいな、って思いました。
そして、新くん自身、こっからまだまだ伸びるな、とめちゃめちゃ思いました。すごくすごくかっこよかったです。同い年のJr.がこう頑張ってる姿を見ると、自分も頑張らなきゃ、と士気が高まるので、これからも応援させてほしいな…と…個人的には…思ってます……頑張れ……


最後のシーンの話に戻るのですが、あのシーンに関しては、キャメロンが言いたいこともわかるんですよ。きっとキャメロンも自分の中の正義と照らし合わせた結果、キーティング先生の言葉よりも、校長の言葉のほうが自分の心が傾いたんだろうし、実際問題彼は、ウェルトンの制服を着れていることに誇りを持っていると公式の紹介文に書いてあったので、ああいう結論になったのだろうな、と思いました。他の人とは考えが違っただけで、彼もきっとキーティング先生が好きだっただろうし、 キーティング先生の授業も楽しそうに受けてました。ただ、彼がいつも頼りにしていたのはニールだったんですよね。一緒に勉強がしたい、詩の宿題を一緒にやろうといつも誘ってたわけですから。彼は、ペリー氏の言う通り、ニールはハーバードに行って医者になる、そう思い続けてきたのではないかな、と思ってます。だからこそ、「キーティングがいなければ、ニールは今頃ここで化学の勉強をしていたさ!医者になるために!」っていう言葉が出てきたのだと思います。
きっと、この物語にキャメロンの役割は必要だったんですよ。みんな一緒で、みんながみんなキーティング先生と同じ意見なことは絶対ないだろうし、それこそ、校長側の人間が一人いることで、より物語の解像度があがって、現実味が出てきたんだろうな、と思ってます。世の中、みんながみんな同じ意見じゃないことを、日常生活でも身を持って感じてます。だからこそ、みんなが机の上に立ってるシーンで、1人ぐっとうつむいて、拳を握って泣きそうな顔をしているキャメロンは、すごく重要なんだと、強く思いました。それこそ、自分の、自分だけの道を彼は選択したんでしょうね。
ニールが舞台のあと父親に連れて行かれたとき、ニールに倣って、みんなが拳を胸に持っていっている中、「果たしてこれが本当にいいのだろうか」と拳を中途半端に胸まで持っていきながら考えているシーンから、最後のシーンまでの市川くん、めちゃめちゃ最高です。すごいいい役者さんだな、と思いました。いじられてるシーンのときも輝いていましたけどね!!!ちなみに多分私は死せる詩人の会、再発足のあの局面に立たされたら、キャメロンと同じ動きをします、危ないとわかってるけど行きたい。あと、個人的にはキャメロンとミークスの仲良しコンビが可愛くて仕方なかったです。あの二人、仲いいですよね…??なんか、チプデに見えて仕方ないときが何回かありました。かわいい。すごくかわいかった。二人のワチャワチャもう少し見たかった…よ……

そんなミークス。ずっと可愛かったんですよ…!!!!!!!!!!ニコニコ笑いながら、シリアスなシーンでの緩衝材になることが多くて、え???これ、そんな、いいの…??可愛すぎない???いや、こんなにかわいいことある??と思うぐらい可愛くて、それを演じられる基俊介(24)は天才か????と思いました。また、人柄的には自分の興味があることにしか興味が向かないタイプかな??と感じたのですが、どうでしょうか??また、集中すると、とことん集中してしまって、周りが見えなくなるタイプかな、とも。例えば、太もも野郎のところ。「フライドチキンが好きってことかな?!」って言ったあと、「女好きってことだよ!」と教えてもらうのですが、へぇ〜となったあと、すぐに死せる詩人の会のことに興味がそれていたり(女性に興味がない、というよりはそれよりも死せる詩人の会についての興味がすごかった、のほうがニュアンス的にはあっているかな、と思っています。)、ノックスの惚れた女性である小向なるさん演じるクリス(以下、クリス)の話を聞いているとき、「唇は枕のようだ…!」と例えを出したときに「ねぇそれって羽毛?それとも真綿?」と聞いてしまったり、はたまた校長の話を聞いているときに他ごとをしていて、ノックスに小声で「おい…!」と言われるまで自分が指名されていることに気が付かなかったり。タバコのシーンもそうですし、チャールズが赤くしてきたときに興味津々に赤くしたところを触っていたのも。勉強ができると言われていたのも、集中力が高いからかな?と思うなどしました。
そんな彼も、この物語の中ではキャメロンと同じく少数の『自分だけの道』を歩いている人だと思います。
彼だけ、あの会の中で、目に見えた行動を起こしていないんですよね。ニールは父親に反発して演劇に出た。チャールズはダルトンと名を改め、自分がこれをしたい!と思ったものにどんどん手を出していった。ノックスは婚約寸前の恋人がいるクリスに熱烈なアピールをした。キャメロンは自分はこの考えではないと行動で示した。そして、トッドは誰よりも影響を受けて、自分自身を出せるようになった。
彼はきっと、行動しないことを行動したんですよ。あの行進の中で、座っていたダルトンと同じです。もちろん、彼の中で考え方が以前と変わっているのは、最後のシーンでもすごく伝わってきました。でも、彼は不変だった。最初から最後まで、一貫して『スティーヴン・ミークス』は『スティーヴン・ミークス』であり続けたんですよ。
周りが変化していく中、自分も変わらなければならないのではないか、そう思う人が多いと思うのですが、彼は変わり続ける中で変わらなかったのです。
これ、簡単そうに見えてすごく難しくて、あれだけ自分の価値観を変えてくる人が目の前に現れたときに行動しないことを選ぶのって、私にはきっと無理だな、と思いました。
また、基さんの中でのミークスがブレずにいたからこそ、このミークスという役はとても素敵な人になったのだと思うし、一歩間違えば観客を苛立たせてしまうかもしれないような天然さを、違和感なく引き出せたのではないかと思います。これは自担贔屓なんですけど、それってめちゃめちゃすごくないですか…???
あと、舞台上でずっとミークスはミークスとして生きているのを目の当たりにして、死ぬほどミークスが愛おしくなりました(語彙力)
ここからは個人的に天才!!!!ってなったシーンの話をするのですが、二回目の休演日前後ぐらいから、ミークスが『太もも野郎』の話からの『死せる詩人の会ってなんだろう?』に持ってくるところが、とても自然になっていて、以前は結構そのままなんの脈絡もなしにそこへ飛んでた気がしたのですが、悩むシーンが入ったこと、あと少しセリフの言い回しを変えたことによって、違和感がなくなり、またこの物語の解像度が上がった気がして、天才だ……と称賛したくなりました……素敵な物語をありがとう……素敵な演技をありがとう……ミークスが愛おしいよ……(?)

ノックスは、本当に普通の高校生だな、というのが私の感想です。基本的には真面目だと思っていて、その中で成績がやばいと焦ったり、友達とバカやりながら笑ったり。そして、クリスと出会ったことにより、恋をして、クリスのことを日々考えて、生活してる。授業中もクリスのことを考えてるのかすごくわかって、かわいいな、とずっと思っていました。高校生は眩しい。
特にそれを思ったのは、キーティング先生が「どうして人類は言語を身に着けたのか」という質問に対して、答えた生徒に「違う!女を口説くためだ!」と言ったところ。みんなが笑っている中、一人だけ、(そうか…だからか…)と、妙に納得た顔をしているシーンです。(その後ミークスが笑いながらふとそちらを見て、あ〜…みたいな顔をしているのも微笑ましかった)
これ聞いて、めちゃめちゃ詩とか、国語(作中では英語)の勉強したのかな?と勝手に想像しました。そうだったら可愛い。詩のクオリティも高かったですしね。
また、一途に一直線なノックスはとても眩しくて、羨ましいな、と強く思いました。彼女に対する詩を書いたり、電話した…!と喜んだり。電話したと喜んだシーンは、ほんとに健気だな、と思いましたし、そこでダルトンの優しさも出ていて、めちゃめちゃ可愛かったです。公演最初の方は結構肩に手を置くような慰め方が多かったんですけど、途中から熱い抱擁に変わっていて、思わずニコニコしました。クラスみんなでノックスの恋を応援しているの、めちゃめちゃいいですよね……ほんとに……すごくいい………。
私、クリスが「ノックス」ってよんだ瞬間、私天使舞い降りたかと思って、びっくりしました。え、クリスめちゃめちゃ天使だった……あの声めちゃめちゃいい………
「あなたってほんとムカつく」って言いながら、ノックスに手を差し伸べるシーン、毎回毎回基くんと新くんと同じ反応になってましたよね……いやあそこの影山くんの演技もめちゃめちゃいいんですよほんとに……いやそりゃ基くんも新くんも悶ますよ……いやほんとに……はぁ………あそこまじでほんとに大好きなシーンでした………普通にクリスが天使すぎた……
ただ、この先の二人のことを思うと、どうなるのか、というところがすごく怖いのですが、なるだけ荒波を立てず、二人が幸せになってくれることを個人的には願ってます……頼む……幸せになって………


そしてニール。ニールはニールで家庭に複雑な問題を抱えていて、トッドが比較されてダメな子だと家族から言われているのなら、ニールは父親の期待に答えることができてしまったがゆえに、父親の理想の息子を演じることになり、お前はできる子だから、俺の作った道を通るんだ、と断言されているんだろうな、と感じました。クラスの中心で、成績も良くて、人当たりもめちゃめちゃいい。クラスにこんな子一人はいたな、とふいに高校時代を思い出してしまいました。
でも、死せる詩人の会に誰よりも興味を持ち、キーティング先生の言葉や行動に感銘を受けて、影響を受けて、誰よりも変わろう、変わろう、そうやってもがいて自分らしく生きることを模索したんじゃないかと思います。だからこそ、彼の生き方はダルトンの「あんなに、この世界に心躍らせていたのによぉ!!」というセリフにあるように、他のクラスメイトたちを刺激したんだと思いました。
私は、彼に関して、好きで好きで仕方がないからこそ死ぬほど考えてしまっているシーンがあって。トッドが誕生日に両親から2つめのマグカップをもらうシーンなんですけど、彼の「大丈夫、来年もまた同じものがもらえるさ。」っていうセリフが、とても苦しくて。次の年、たとえ同じマグカップが送られてきたとしても、違うものが送られてきたとしても、トッドはきっとニールのことを思い出すと思うんですよ。これがとても苦しくて。言葉にするのが大変難しいのですが、ニールのことを考えながら、家族の呪縛から解き放たれても解き放たれていなくても、トッドはこのことを思い出すと思うんですよ。あのシーンが好きだからこそ、そこを思うと苦しくなりました。ニールがまだ生きていたら、きっと三個目のマグカップが来ても来なくても、二人で笑いあっていたんだろうな…。
彼の死に関しては、考えることがありすぎて、頭がパンクしそうになります。いやもちろん、父親が彼の芝居に対する情熱を聞いて、チャンスをくれたらきっと物事もスムーズに進んたんだと思うんです。もしくは、亡くなったあとに「生きててさえくれればよかったんだ。」そう言って、彼の芝居への情熱を認めてくれるだとか。彼のことを父親であるペリー氏が、考えてさえくれれば……理解さえしてくれれば……!!そう思ってしまうのも事実です。でも実際ペリー氏は矛先を学校に向けてしまった。初めてその事実を知ったとき、軽く絶望しました。「私の息子の人生は〜!!!」と叫ぶシーンがありますが、私には、責任転嫁にしか見えなくて。きっとまだ自分自身が親の加護の元にあるということ、学生であるということ、これらの様々な理由から立場が違うため、そのようなふうにしか思えないのだとは思うのですが、ペリー氏がどうしても、どうしてもニールを一度も作中でひとりの人として見てない気がして、とても苦しかったです。まるで自分の生き写しであると信じて疑ってない様子が、とてもきつくて。私は親に期待されることもなく、だからといって無下にされることもなく、一般的な家庭で、やりたい目標を親に背中を押してもらいながら自分で道をほってきたタイプなので、だからこそどうしてもペリー氏がどうしてニールに自分のしたかったことを押し付けてしまったのかというところの解像度が低くなってしまいました。でも、その生き方はどちらもきつく苦しかっただろうな、と想像して、すごく心が痛くなりました。『父親にとっての理想の息子』を演じざるを得なかったニールが、天国の死せる詩人の会で、正会員になりながら自分のしたいことをしつつ幸せに暮らしていて、数十年先に正会員になるであろうクラスメイトたちの土産話を楽しみに待っていてくれる世界があるといいな、と願ってます。


そして、この人のことも話させてください。キーティング先生です。この物語のキーパーソンであり、学校を変えようとし、改革者になろうと奮起した人。「確かに、この学校は理想とは程遠い。」そう言いながら机に拳をぶつけるシーンが何よりもそれを表しているのではないかと思います。
この人に関しては、未だに私はどう考えるのが正解かがわからないです。
この物語は、それぞれの登場人物が物語の中で生きすぎたんですよ。みんながみんな、正しいと思った行動をして、特に大人たちは、生徒たちの未来を考えて行動していた。あの校長だって、優秀な生徒になり、アイビーリーグの大学に行くことが幸せな未来だと信じて疑ってないんですよ。だから強引なやり方で生徒を守ろうとするし、教科書を信じて疑っていない。それぞれの立場から物語を見ると、悪役だってそれなりの理由を抱えながら、でもこの物語の中では悪役になっているんだと感じました。
私はアメリカの当時の時代背景が曖昧なので、なんとも言えないのですが、きっとキーティグ先生がウェルトンに来るのがあと数年遅かったら、また色々変わっていたのかな、もしかするといろんなことが今より寛容になっていたのかな、なんて思います。
でも、あの時代の、あのメンバーだったからこそ、死せる詩人の会の話が出来たり、日々の授業が響いたりしたのかな、とも思っています。事実、死せる詩人の会の話はニールとミークスがキーティグ先生の卒業アルバムを見つけてきたところから始まりますし。
ここからは解釈違い等あると思うのですが、私はキーティグ先生が全て悪いとは思わないですけど、それでも、彼の言動で1つの尊い命がなくなってしまった事実は変わらないと思っています。たとえそれの引き金を引いたのが本人であっても、その原因が父親であっても。彼の存在は高校生の多感な時期の彼らにとって、とても影響が強かったことに変わりはなく、魅力的で、生きることを追い求めるには必要だったとしても。
だからといって彼が言ってることが間違えだとは思いません。彼らの人生は、彼らのものであって、親のものではないし、もっというと私達の人生も、私達のものであると信じているからです。もちろん、父親がニールの話をもっときいて、彼のことを知って、自分と違う人間なんだ、ということを感じられるのが一番良かった事実に変わりはないんですよ。そこに関してはゆるぎません。
難しい。すごく難しい。でも、校長先生が言っていたようなことは決してなかったし、それに関して、どうしても署名せざるを得ない状況下にさせたことは絶対許せないんです。少なくとも、彼らの楽しみな授業は、キーティグ先生の英語の授業だったと思うし、キーティグ先生が彼らに生きること、生きているということを教えてくれたと思ったので…。

最高だったけど、とても難しかったな、そう思う舞台でした。ひとりひとり掘り下げていくとキリがないぐらい。それこそ私はこれ書くのに軽く3日はかけてます。東京千秋楽から書き始めたのにね…怖……

本当は他にも、演者さんのここが良かった!!!とか、物語のこの部分に毎回泣きそうになった、とかたくさんたくさん書きたいところはあったんですけど、それはまた違う機会に書こうと思います。

次私が見に行くのは大阪を飛ばして愛知公演なので、その時までカンパニー、お客さん、その他この舞台に関わる方全員が、健康で、何事もなくこの舞台が続いてくれることを願っております。

すでにロスなので早く愛知公演をミセテクレーーーーーー!!!!!!

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