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人間の基本ステータス値の合計は皆同じだよねという話

人間の能力について考える際、大きく分けて2つの考え方があると思うのです。

1つ目は「天はヒトの上下にヒトを作った」という考え方。
様々な能力値、例えば、すばやさ・ちから・かしこさとか、よくロールプレイングゲームにある、ああいった基本ステータスはそれぞれ個別にランダムで決まっていて、人によってその能力値の合計は違うという考え方。

全ての能力の合計値が1,000の人もいれば残念ながら250の人もいるという考えだと、そこにヒトとしての優劣や選民思想、差別なんかが入りやすくなると思うのです。

そうではなくて2つ目の「天はヒトの上下にヒトを作らず」という考え方。
個人個人の基本ステータス値は、全ての能力を合計すると全員同じ値になるという考え方こそ、職場でも人間愛に満ちた人材育成ができる根源になると、私は考えています。

そうです。人は誰でも得意とする何かがあり、その何かに運よくハマっている人とハマっていない人がいる、という事なのです。

先日、若手を指導する立場の社員から泣きが入りまして
「社長はそう言うけれど、何をやらせても全然だめなのです。指導力不足もあるからこちらも色々工夫するのですが、色々試しても成果が出ません。あいつの得意とする事って何なんですか」
という相談がありました。

それは成果というものが固定値ではなく貴方の中の漠然とした思いに由来しているので、成果が出ていないと感じている事と、個人が得意とする事が必ずビジネスに役立つステータスであるわけではない、という事を理解してほしい旨、伝えました。

例えば数あるステータス項目の中に「ティッシュを破らずに箱からキレイに1枚引き抜く」という能力があったとします。
通常、社会生活を営む上で「ティッシュを破らずに箱からキレイに1枚引き抜く」ステータスは、能力値2ほど割り振ってあれば十分事足りるのですが、この「ティッシュを破らずに箱からキレイに1枚引き抜く」ステータスに能力値を300ぶち込んでいる人もいたりするのです。

「ティッシュを破らずに箱からキレイに1枚引き抜く」ステータスに能力値300。素晴らしい。もうパンパンに詰まったボックスティッシュから、どの角度からでも、どんな体勢からでも、華麗にかつ綺麗に1枚だけシュッと引き抜く事ができます。だって通常2で足りるのに300も割り振っているのですから。

当然、全能力値の合計は皆一緒なので、過剰に割り振った298の能力値をどこか削って捻出していることになります。

もうお分かりですよね。
ビジネスに必要なステータスから能力値を削って割り振っているのです。

「肝臓のアルコール分解する力」に大きく能力を付けるために「酒癖の良さ」から大幅に能力値を削って(ひょっとしたらマイナスになるほど)割り振っている人もいるかもしれません。

「他人のミスを許す寛容さ」から能力を削って「精密な計算力」に能力を割り振っている人もいるかもしれません。

肝心なのは、仕事における結果とその対価を明確にしておいて、できた人にはできたなりに、できなかった人にはできなかったなりに報酬を支払う制度があるのか?という事だと思うのです。

その基準と報酬額をどう設定するのかが、各企業の個性というか理念というか、そういうものを紐解いて、決めるんじゃないのかなと感じます。


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