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バッシングを乗り越える未来

 冬季北京五輪のスキージャンプ競技、混合団体の結果について、高梨沙羅選手がインスタで心境を語った。

(twitter https://twitter.com/YahooNewsTopics/status/1491070565914128384より引用)


 本人にとっては残酷で、僕らにとっても理不尽なことではあったが、一部の人を除けば今回の件で、高梨選手のことを責める人はほとんどいないだろう。

 
 高梨選手は、高校生の頃から第一線で活躍し、その姿は日本国民から注目されてきた。 

 W杯では無敵の強さを発揮し、金メダルを期待されたソチオリンピックでは4位に甘んじたものの、北海道生まれのその純朴な姿に、日本人はまるで娘の活躍を見守るように、テレビの前で応援をしてきた。


 しかし、高梨選手が大学に進学することから、その容姿が一変する。

 
 オルチャンメイクと言われているようだが、韓国風のメイクをベースに、あの純朴などさん娘からは想像できない「イイ女」へと変わっていったのだ。


 この変化に一部の人たちは大きく動揺した。

 
 「メイクする暇があったら練習しろ?」

 「モテようとしてるんじゃね」

 「あれはメイクじゃなくて整形だろ」


 これは、4年前の平昌冬季五輪でもかなりのバッシングを受けていた。

 そして、今回の北京冬季五輪でも「高梨メイクバッシング」は続いている。

      
 一部の人たちは、純朴な「どさん娘」の沙羅ちゃんと、ばっちりメイクの沙羅ちゃんの姿に違和感を持つ。

 そして、自分の理想の沙羅ちゃんと現在の沙羅ちゃんの矛盾を埋めるべく、自分の頭の中で様々な妄想が駆け巡る。

 
 「スキーよりもオトコに興味を持ったに違いない」

 「大学生活をエンジョイしたいんだろ」

  
 

まさに「認知的不協和」の状態である。



 

 おそらくそれは、

「純真無垢」なはずだった女の子が、メイクをする = きれいになることによって、エロティシズムを想起させてしまう

 ことが原因である。
 


 スポーツは清純なもの、と思う人にとっては、一種の嫌悪感すら感じるのかもしれない。

 


 僕らの身近にも

 「高校の頃は目立たなかったのに、成人式であったら急にケバクなって、びっくりしたよ」

 とか

 「あいつ、大学デビューだよな」

 なんていうのは、よくある話だ。

 普通これらの感想はいい意味では使われない。 



 僕らは過去の高梨選手を知っている。

 もし、過去の高梨選手を知らずに、きれいになった高梨選手を初めてみたらここまでバッシングはおきただろうか?

 有名すぎるゆえ、過去を知りすぎているゆえ、それは重荷となって彼女に降りかかってくる。

 


 少女の頃から活躍していたスピードスケートの浅田真央選手は、僕らのイメージのまま大人になっていった。

 彼女だってメイクしているが、イメージが変わらない彼女はバッシングされない。


 そのギャップゆえにバッシングされた高梨選手は、今回のオリンピックのノーマルヒルで4位に終わった。

 その結果に、SNSでいまだに批判を続ける輩も後を絶たない。

 
 
 そして今回の失格。


 
 彼女は、その責任の一切を自分で背負い、メダルを期待していた日本人に謝罪した。 

 
 
 今後、彼女が競技生活を続けるのか現時点ではわからない。

 
 ただ、彼女の涙が、動揺の中飛んだ2回目のジャンプが、インスタに綴った責任感が、そして彼女への数多の激励が、バッシングを乗り越える彼女の未来を暗示してくれている。


 
 ジャンプは彼女のすべてだったのかもしれないが、彼女の人生はまだまだ続く。


 競技生活ではない人生のほうがはるかに長い。

 
 彼女は、今回のオリンピックで素晴らしいモノを手に入れた。

 
 そう願いたい。


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