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スポーツ界のガラパゴスと化した甲子園

 大会の権威の失墜により、見る気も失せていた春のセンバツ大会だが、当たり前の大人がもっている「良心」に触れるニュースに遭遇した。    

(twitter https://twitter.com/YahooNewsTopics/status/1505732678334939138より引用)

 選抜大会の2日目。広陵-敦賀気比戦で審判団による誤審があり、審判団はそれを認め謝罪した、とのことだ。

 「なんだ、当たり前のことじゃないか」

 と言ってはいけない。

 なぜなら、これまで甲子園大会において審判の誤審は数あれど、それを認めて謝罪するなどということはほとんどなかったからである。

 これまで高校野球の審判団は、なかなか誤審を認めることや謝罪はしなかったが、自らのプライドより、正しい判断を選択したことは評価していい。素晴らしい決断だったと思う。おそらく、これは、現場の判断ではなく、高野連の方向性というものが、事前に通達されていたのではないかとも思える。時代の流れを感じる判断だった。誰のための高校野球かということを考えると、その方向性は間違っていない

(ヤフーオリジナル「PAGE」誤審認め謝罪 高校野球改革の一歩https://news.yahoo.co.jp/articles/ae25c11929eaf7fb2a949f6cec0008a77cb13d20?page=2 より引用)

 これは、元プロ野球出身の高校野球監督第1号で、瀬戸内高校の監督時代に甲子園出場経験がある後原富による評価である。
 後原氏は自らのプライドより、正しい判断をした審判団を評価する一方で、これは現場の判断ではなく高野連の方向性が事前に通達されていたのではないか、と推測している。

 しかし、である。
 
 この誤審に関する高野連審判副委員長のコメントを見ると、今回の誤審⇒謝罪の一連の流れは、高野連による事前通達というよりは「当たり前」の大人(審判)による現場の判断であったのではないだろうか。

 日本高野連の審判規則委員長でもある窪田大会審判副委員長は「4人のアンパイアは、事後の処置としては落ち着いて正しい方向で再開できたことについてはよかったと評価しています。ミスしたことはあってはならないことですけど、事後の対応としてはよかったんじゃないかと、そういう判断です」と話した。

(twitter【センバツ】広陵-敦賀気比戦で審判団が誤審を謝罪「事後の対応としてはよかった」審判副委員長
https://twitter.com/nikkansports/status/1505398787132760064より引用)

 

 「ミスしたことはあってはならない・・・」       

 甲子園の審判はプロではなく全国の都道府県から推薦されてきたアマチュアである。
 プロですらジャッジをミスするのに、「ミスしたことはあってはならない」という発想自体が、高野連を聖域のモノとし、理不尽にも今大会の権威を失墜させたあの事件を生んだのではなかったか? ?

 どこの世界でもジャッジにミスはつきものである。
 日本の国技である相撲ですら、行司軍配による審判部の物言いを認め、そこにはビデオ検証が行われている。
 サッカーによるVARはもちろんのこと、プロ野球ですらリプレー検証を行っている現在、スポーツにおけるジャッジのミスは、当然のことのように起こりうる.。
 そのミスをなくすよう努力するのはもちろんだが、ミスは起こりうるものとして、そのミスが起きた時今回のように誤審を認め謝罪し、ジャッジを覆すなどの対処方法をマニュアル化しておくのが、運営側のあるべき姿だろう。

 それを「事後の対応としてはよかった」と、まるで他人事のように話すような組織であってはならない。
 今回は、謝ることのできるまともな大人(審判)がいただけで、審判による統一した方向性がないと、誤審を認めない大人がこれからも出てくるであろう。

 これは、大人の世界すべてに言えることである。
 仕事であれ、日常生活であれ「失敗」「過ち」はつきものである。

 その「失敗」や「過ち」をしたときに『ごめんなさい』といえるかどうか。
 そしてその『ごめんなさい』を受け入れることのできる環境であるかどうか。
 このことが当たり前になる社会にならないといけない。
 
 間違いを認めず居直り続けたり、ごまかしたりする上司や親が蔓延る社会に別れをつげなければならない。

 

 こんな当たり前のことを言わなければならないのは、そういう大人が今でもそこいらにいるからだ。
 高野連という組織はなおさらだ。

 今回は、当たり前の良心による美談となったが、今回のことがスタンダードになるかどうかは高野連が「当たり前の大人」になれるかどうか、にかかっている。

 それができなければ、いつまでたっても高校球児が目指す甲子園は「スポーツ界のガラパゴス」であり続ける。

   



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