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【書評】おいしいとはどういうことか(中東久雄 幻冬舎新書)

11代伝蔵書評100本勝負 30本目
 今年5月下旬から6月一杯まで京都のサービスホテルに滞在しました。そのホテルはミニキッチンが付いていたので、基本毎日何かしら作っていました(ごく簡単なものですが)。そして今週から再び同じホテルに1ヶ月滞在します。前の滞在の時もそうですが、自分で作ると「美味しいってなんだろう?」と考えます。それは自分の作る料理がイマイチ美味しくないというのもあるでしょう(苦笑)。そこで手に取ったのが本書です。
 著者は料理人です。料理を生業として日々格闘されていますからその言葉に説得力があります。だからといってレシピが紹介されているわけではありません。むしろ中東さんは巷に溢れるレシピに対して否定的でさえあります。
 本書は中東さんがある農家で体験したエピソードから書き出します。それは良い野菜を求めてある農家を訪ねた時のことです。中東さんの「良い野菜を」というリクエストに対してその年老いた農夫は次のように答えだそうです。

ええ野菜だけ持って帰って料理したら、ええ料理ができるにか決まってるやないか。料理人なら出来すぎたり、また未熟やったり、出来損なったり、そういう野菜こそどう料理すればええかを工夫すべきやなんやないか。
 第一章 土を舐める

 このことばをしっかり受け止めた中東さんは爾来大原まで毎日朝市に顔を出すようになりました。その中で野菜が大地からの、自然からの恵みであることを痛感したのでしょう。そして中東さんが営む料理屋さんでは全ての食材を無駄なく利用しているようです。生きることは食べることであり、植物を含めた命を奪うことであるという認識が中東さんにはあります。だからこそたとえ野菜の切り端であっても無駄には出来ないし、感謝の気持ちで日々料理しているのでしょう。僕などには少し理想論過ぎると感じるところもありますが中東は現状を認識した上での主張なので傾聴に値すると思いました。当然ですが中東さんは我々素人にプロのようなあれこれ要求しているわけではありません。料理屋さんを営む中東さんですが「料理の基本は家庭料理」という考えです。そして我々素人にもすぐ実践できることを提案しています。
①野菜を喰む
中東さんによれば「喰む」とは「ちょっと齧る」ことです。買ってきた野菜をそのまま「喰む」ことで野菜が持っている本来の味を体感できるとします。そうすることでどう料理すれば野菜そのままの旨味を生かせるかのヒントになると言います。まぁ僕のような素人にヒントとなるかは大いに疑問ですが喰むのはすぐに実践できますね。
②レシピは見ない
ネットにはレシピ集で溢れていますし、その種の動画も多く参考になることが多いと思っています。しかしながら中東はレシピに否定的です。レシピに気を取られて素材の旨味を引き出すことが疎かになるからです。これもまたプロの言い分ですから、全くレシピを見ないというのはちょっと難しいかもしれません。しかし少なくとも材料を「喰む」ことでそのレシピの奴隷?になることはなくなるかもしれないとも思いました。
③出汁について
本書で1番驚いたのは中東さんが出汁を使うことに慎重であることです。昆布や鰹から取った出汁は力が強過ぎて素材の味を殺してしまうことがあるというです。「和食の基本は出汁だろうよ!」と思っていましたから驚くと同時に根拠はないけど説得力があるなとも思いました。中東さんによれば野菜の切れ端からもよい出汁が出るそうです。実践してみます!

 料理や食べることに興味があるならあっというまに読めると思います。そして①〜③が実践できたなら予約困難店である中東さんのお店にもお邪魔したいと思いつつ、読了しました。

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