すずめの戸締まり の はなし
正直感想を公開するつもりはあんまりなかったのですが、私にとっての「壮大なネタバレ」をNHKが「公開」していたし、公開から1か月が経ったし、ということで公開します。公開日の朝一で見に行った、その日に書いた雑感とか色々です。
雑感
12分間の配信映像の、冒頭1分。
屋根の上に漁船が乗っている画をみて、何かを察した。
見覚えのある画だった。本当はありえない状態なのに驚きは無かった。これは間違いなく東北の風景だ、と思った。それと同時に芝が生い茂る緑色の地面をみて、あの震災からある程度時間が経過した場所だと感じた。当時「常世」なんて言葉は私の辞書には載っていなかった。
相変わらず、物語の展開そのものは一度見ただけでは飲み込めない。登場人物の人間関係という点では「鈴芽にとって前向きな終わり方をしたこと」くらいしか理解できていない。ハッピーエンドと言うべきなのだと思う。ただ、そういう結末に対して、感動することはなかった。『3作連続、再会で幕を閉じたな~』なんて思っていた。物語としては「災害を防いだ」というカタチだが、その点について、私はあまり重要だと思えなかった。
映画が終わった時、「生」を実感した。「あぁ、今を生きてるな、自分」と感じた。11年前に震災が起こった今を生きているなと。生きていることに申し訳なさを感じるようなネガティブな感覚ではなく、ポジティブに「生」を感じた。
そして、東日本大震災のことを思った。忘れてはいけないなという想いはもちろん、私のアイデンティティにこの震災が大きな影響を与えていることを自覚することができた。そしてその感覚を大切にしよう、とも思った。
どうしてだが分からないが、映画を見た日の夜に、明るい日と書いて「明日」というのは素敵だな、なんてことも思っていた。
非現実的かつ人が死ぬ彗星災害を描いた『君の名は。』、現実的だが人は死なない(生活様式は変わる)雨災害を描いた『天気の子』、現実的かつ人が死ぬ地震災害を描いた『すずめの戸締まり』。そういう見方をすれば、新海誠監督の直近3作品を並べ、今作を【集大成】と言うことができるように感じた。
あの絶望がよみがえった
作品を見たあと、SNSで色んな人の感想を見た。
そこには『この作品には東日本大震災の描写があることをはっきりと示すべきだ』という投稿を数多く確認できた。確かにその方が良いな、と当時の私は感じた。そして公式からアナウンスされていた「地震描写や緊急地震速報の音が鳴る旨、ご注意を」という内容の画像(画像①)と共に、『気を付けた方が良いかも』という投稿をした。
しかし、私はその投稿を数時間後に削除した。
そういう心の準備をして観るのはちょっと違うかもしれない、と思ったからだ。東日本大震災について直接的に描いていることを知っている状態で観てしまうのは、何かが違うように感じた。ましてや主人公が震災で親を亡くしたなんて設定を伝えたら、物語の見方がガラリと変わってしまうような予感がした。
先述した投稿が数多く確認することができたことから分かるのは、やはりこの震災が人々に与えた影響は、(見える影響から見えない影響まで)大きかったということである。映画を見てそのことを思い出し、何らかの形でそれ(東日本大震災のインパクトの大きさ)を伝えようと思ったのかもしれない。
2011年の3月12日は土曜日だった。
ここからは、私のアイデンティティに東日本大震災が大きな影響を与えている、という点について、少しだけ自分の話をしようと思う。少ないが強烈に残る当時の記憶も交えながら。
10歳の春。小学4年生の私。
学校から家に帰ってきた私の目の前には、空港に津波が流れる景色が広がっていた。黒い波だった。右下に日本地図が表示されていた。大津波警報という聞いたことのない警報が表示されていた。
東日本大震災が起こった時のテレビ映像は、発災以降何度も見てきたから、あの日の純粋な記憶は少ない。ただ、一つだけはっきりと覚えていることがある。
あの日は金曜日だった。厳密に言えば、次の日である3月12日が土曜日だったことを覚えている。当時野球チームに所属していた私は、毎週土日に練習があった。
震災が発生した次の日も練習があった。しかし、私はそのことに対して「なんで?」と思ったことを、猛烈に覚えているのだ。「こんな大変なことが起こっているのに、どうして野球をするの?」と。目の前で起こっている状況を手放すことに猛烈な違和感があった。
私も鈴芽のように、東北へ向かった
あの震災から7年後と9年後。2018年と2020年に私は東北へ向かった。2019年から3年間にかけてnoteに震災のことに関する投稿を残し続けた。
行かなければいけない、と思っていた。記録しなければならない、と思っていた。投稿しなければならない、と思っていた。とにかく写真を撮り、動画を録り、編集していた。
その気持ちのきっかけは、あの日、震災が起こった次の日に感じた「悼みたい」という思いだったのかもしれない。
映画を見て、私の行動の根っこにあるものが何か、分かった気がした。