『天気の子』と『二通の手紙』
大学1年の時、新海誠さんが原作・脚本・監督をつとめた映画『天気の子』が公開された。前作『君の名は。』がとても好きだった私は、どんな内容なんだろう、と非常にワクワクしながら公開日当日に映画館に向かった。
映画が終わり、映画館を出た時の私はモヤモヤしていた。
「こんなの、だめだろ」
そんなことを思ったいた。じゃあ、なんでそんなことを思ったのか。
『天気の子』では、登場人物である帆高や陽菜たちがいくつもの法を犯す。例えば、警察官に手を出したり、線路内を走ったり、年齢を偽ったり、児童相談所から抜け出したり、銃を持ったり打ったりする。その果て、「天気なんて狂っていいんだ」とか「僕たちは大丈夫だ」とか言って話が終わる。
当時大学1年だった私は、教職課程の『道徳教育論』を履修していた。
「特別の教科 道徳」として教科になった道徳について学ぶことを、当時の私は楽しんでいた。私が児童・生徒のときは「心のノート」とか「私たちの道徳」みたいな副読本を教材として扱っていたが、数多くある副読本の全てに掲載されている物語が『二通の手紙』であることを担当教員から教わった。
『二通の手紙』は「C:主として集団や社会との関わりに関すること」の「10:遵法精神, 公聴心」を主題とするときに選ばれる教材となっている。
物語の舞台は動物園。入園時間が終わって数分が経ったころに訪れた2人組に対して、入園を許可するかどうか、という場面から始まる。
この動物園では過去に似たような出来事が起こっていた。子どもが2人(姉弟)が入園時間が終わった数分後に訪れ、従業員は特別に入園を許可した。許可した理由は「弟の誕生日だから」とお願いする小学生の姉の気持ちを理解したから。しかし2人は閉門時間になっても出口に現れず、園内職員による捜索によって見つかることになる。
その時に入園を許可した従業員の手には「子どもの保護者からの感謝の手紙」と「解雇通知」の二通の手紙があった。
『二通の手紙』についての指導案を考えることに熱心になっていた私が、『天気の子』を見た。遵法精神とか、「法」や「きまり」がある理由、とかそんなことを学んでもらうコンテンツを考えていた私が、法律を破りまくって、わがままに天気を狂わせて、大丈夫だ!と言っている物語を見た。
そりゃ、もやもやするし、「こんなのだめだろ」と思うだろう。
アマプラで『天気の子』を見ることができるようになって、先日3年ぶりに見て、そんな当時のことを思い出した。