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進撃の巨人最終章を見始めて。世知辛い時はこれを思い出して頑張ろう。

1/10からNHK総合でアニメ進撃の巨人のファイナルシーズンが76話から再開し、82話まで進みました。再開まで約10ヵ月の間が空きましたね。
原作漫画は去年4月に完結。大変話題となり、考察も含めてさまざまなサイトで感想が語られています。
アニメが止まっている間に原作やネタバレを読む事は可能でしたが、私はアニメ勢として(?)放送再開まで巨人の事は考えないでいました。
そして79話を観た所で「訳が分からなくなってきた。ツマラナイぞ」と思いつい先日、サクッと最終回までのネタバレだけを読んだところです。(以前も書きましたがネタバレを読んでからでも物語を楽しめる体質なので、10ヶ月我慢したにもかかわらず急にこういう事をしてしまいます。)

そんな訳で、
このあとすぐに
進撃の巨人の最終回までの
ネタバレをさらっと書いてしまっています
のでご注意ください。
さらに書きたい事は作品考察ではないので
重要なネタバレの割に本編は読んでないし考察は浅い
事もご容赦願います。
そして
「コンスタンティン」というキアヌ・リーヴス主演
映画のネタバレも書いてます。

私は過去も今も未来も無宗教ですが、キリスト教は読み物として面白いと思っています。(プロテスタント系の学校にもいたけど当時は興味も無かったし宗教学の成績も悪かった。)
進撃の巨人ネタバレを全て観たら、キアヌ・リーヴス主演の「コンスタンティン」という映画を思い出しました。(最近また地上波放送してた。)
この宗教色の強い映画のハラハラするラストは、人間が勝つ事が不可能である「神」と「悪魔」に、主人公が最後の最後で切り札をぶちかまします。
それが自己犠牲の精神。
詳しくは映画を観て頂きたいですが、堕天使となったガブリエルすら最後、自己犠牲の精神を感じ、敗北したにもかかわらず喜んでいる様子でした。

かたや進撃の巨人、エレンの「地ならし」とジークの「ユミルの民エルディア人根絶」どちらもしている事は大差ないような気がするのですが(どちらも悪い、とも言いきれない)違うところがあるとすればこの 自己犠牲 なのかなと思いました。
9つの巨人継承者は継承時から寿命が13年になるので、エレンもジークも自己犠牲をはらっているように思えますが、エレンの自己犠牲の目的がミカサやアルミンから始まって・戻る場所だ、というのがジークより説得力を感じるんです。映画コンスタンティンだと、主人公がエレン寄りで、天使ガブリエルはジーク。
大切な人の為に自分を犠牲にする事(エレン)と、全人類の為に自分を犠牲にする事(ジーク)では当然 後者の方が尊い様ですが、そもそも自己犠牲の精神は、前者にあるのではないかと思っています。
ひとりの人間が誰でも可能な事は、自分の大切な人の為にダケ自分を犠牲に、自然としているという事
私個人は嫌な事は嫌と言えるので広義の自己犠牲タイプには全く当てはまらないのですが、自分の大切な人の為なら自分を犠牲にします。頑張り、では無くて自然にそうなるんだと思います。
個々人の小さな自己犠牲の精神、そして誰もが誰かにそのように想われて守られている対象だと、皆が認識する
進撃の巨人のバットエンド要素「人類は同じ過ちをまた必ず繰り返す」。それなら、できる事はこの認識しかない気がしています。
それを進撃の巨人で強く思った次第です。
そう思った時、エンディング曲「悪魔の子」が泣けてきちゃいました。買っちゃった。

正直私、エレンにもミカサにもアルミンにもずーっと想い入れが湧か無くて;なんだったらサシャとハンジが好きでした。
だけど最終回までネタバレを見て、”一生想い続けてくれ10年以上は引きずっててくれ”、でたまらなく人間味・愛嬌を感じてやっとエレンを好きになりました。
(っていうか、エレンってそんなにミカサの事好きだったんだ?全然伝わってなかったよ私には・・って思いましたよスミマセン。。)

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