鏡の世界はないけれど
なんとなく、人生のタイヤが一つ、はまっていないまま線路を走っているような気がしている。
誰かの厚意を素直に受け取れず腹のうちを勘ぐってみるときとか、誰かと時間を共にしたあとに、(あのときこう言ってしまったのはまずかったのでは)と一人反省会をして落ち込んでいるときとか。脱線まではしていないけど、どこかで何かの拍子にほんの少し軌道が狂って、普通の生き方をするために人よりパワーが必要になった。そうやって消費カロリーの多い普通を生きる同志はそれなりにいるのはわかるので、人と比べて悲壮感を漂わせるつもりはないが、人生というものは、もっと図々しく、胸を張って、堂々と歩けるものではないのだろうかと、時々思う。
発売されたハードカバーを読んでめちゃくちゃに泣いてから、もう4年も経つらしい。王様のブランチで紹介されたのが手に取るきっかけだったと記憶しているが、そのときの紹介文は『中学生のいじめをテーマにした小説』だったはずだ。それに惹かれて手に取った。私のための本だと思った。
縦軸は至ってシンプルだ。主人公の生きる意地悪な外の世界と、鏡の城の中の宝探し。その二つが交わり始めると城の中の物語は複雑さと勢いを増していくが、外の世界は緩やかに緩やかにただただ時間だけが流れていく。最後の最後まで世界は大きく変わらない。そういうもんだ。それがなんだか現実っぽくてとても良かった。
宝を探す仲間たちはそれぞれ色々なものを抱えていて、それ故になかなか話し合いは進まない。自分が聞かれたくないからだ。その、なかなか話し合えずにいた部分がしっかり伏線につながっていく。謎解きの答えはシンプルでわかりやすいところがあるが、ボリュームは十分。物語に救われようとしなくても楽しめるぐらいには凝った設定だ。その見るものを選ばない感じも、エンターテインメントとしての気概を感じてなんかいい。原作も映画もとても良かった。だから余計に思う。
中学生のときに出会いたかった。
物語には、手に取るべきタイミングがあると思っている。私にとってこれを手に取るベストなタイミングは、きっと中学生のときだった。軽率に感情移入できて、都合よく人生の指針にできる1冊が必要だった。大人になってから読むのも良いけれど、今の私はどうしても省みてしまう。当時の私に一切の帰責性はなかったか。主人公の純潔さや芯の強さに感嘆はすれど、そこに自分を重ねるなどおこがましくてできやしない。
これは過去の私のための物語だ。こんなに卑屈でひん曲がった大人にならないために、過去の私に手に取って欲しかった物語。人生をもっと胸を張って歩くために必要だった物語。だから何度読んでも、映画で見ても涙が止まらない。
どんな対立にも物語のようなわかりやすい白黒はなかなかつかなくて、だいたいは完全な加害者も被害者も存在しない。大人になると否が応でもそのことに気がつくけれど、せめて中学生ぐらいまでは、思い切り被害者面をすることが許されて欲しいのだ。決して反省せず、今後も誰かを踏みつけて生きていく相手の、形ばかりの謝罪を受け入れて和解なんてしなくてもいい。多対一であなたを痛めつける誰かを、きちんと憎んで、忘れる。世界の全てのように思えていた中学校はなかなかややこしかったけれど、大人の世界は輪をかけてややこしい。卑屈な人間が生き抜くにはパワーがいる。健やかに胸を張って大人になるための逃げ場をこの本や映画に見出して貰えるなら、これが出版されるずっと前、教室で、部室で、1人世の中に対してファイティングポーズをとっていた私も少しは報われる、そんな風に時々思う。
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