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No Day But Today

「少しチクッとしますよ」
刺すのは5回目なのに少しもクソもないだろう。とはいえ狼狽する看護師さんの気持ちもよくわかったので、つとめて明るく「はーい」と答える。
右で2回、左で1回。頼みの綱の手の甲でも右で1度失敗し、看護師さんは2人がかりで難攻不落の血管攻略に躍起になった。左手の甲、人差し指の付け根あたりにぷすりと針が刺さる。それでも出てこない頑固なわたしの血液に業を煮やし、針を動かすこと2〜3回。
「××さん、シリンジ引いて、早く!」
最後は看護師さんたちの粘り勝ちであった。無事に採血は終わり、あとは腕を締め付けているゴムをほどいて針を抜くだけ。
「あっ、届かない、どうしよう」
手の甲から血を抜いてるのにゴムが二の腕だとそうなりますよね。血液検査をするとき血流を止めるためのゴム製のあれ(名前は知らん)を、初めて自分で外した。

会社の健康診断で白血球の数値が引っかかった。
再検査の結果問題なかったとはいえ、通知がきたときは焦ったものである。病気は怖い。音も立てず、何の前兆もなく忍び寄ってくるから恐ろしい。看護士さんたちの平謝りに笑顔で応じながら、ひっそりと安堵のため息を漏らした。
ちなみに影法師は末端冷え性持ちで元の血管も細いので、逆に血液検査は楽しい。何度も針を刺されると多少は痛いが、それを嘆いたとてわたしの貧相な血管は太くならないし、何回で成功するのか観察して楽しんだ方が得な気がする。ちなみにこれまでの最長は4回だったので新記録達成。何回失敗されようとケラケラ笑っているぐらいには元気なわたしを、看護師さんたちは「具合が悪くならない便利な人」か「ただのドM」と思っていることだろう。
……前者であると祈りたい。

さて、医学の発展した現代でも『病気』というのは恐ろしく幅をきかせているのだから、一昔前はなおさらだ。特に『不治の病』なんて呼ばれている病気であれば、宣告された者の絶望は想像を絶するものがある。
『わたし、HIVなの。あなたもよ』
かつての彼女にそう告げられたロジャーの動揺はいかばかりか。虚構の世界とはいえ、斟酌せずにはいられない。その上その彼女が病気を苦に自殺してしまったのだから、一人遺された彼が堕ちていくのもわかる気がした。
ミュージカル『RENT』の世界で、HIVという病気はあまりにも重い。ニューヨークのボヘミアン・イースト・ヴィレッジ。金のない芸術家が集まる大層治安の悪い街である。倉庫同然のボロい部屋をシェアするのは売れない映像作家のマークと、堕ちたミュージシャンのロジャー。家賃免除の約束で部屋を貸し与えていたベニーは方針を変え、家賃を払えと言い出した。払えるもんか。クリスマスイブに電気を止められた彼らの叫びからミュージカルは始まる。
このロジャーがまた、筋金入りのダメ男であった。元カノの死後は薬に溺れ、音楽を手放し、フェンダーギターは錆び付いている。部屋に引きこもった彼は、「死ぬまでに栄光の一曲をつくりたい」と言っては懊悩している。ドラッグからは回復したが、曲をつくる才能は枯渇し、情熱もすっかり失っていた。序章はここまで。そしてその冷え切ったクリスマスイブに、ドアはノックされる。

RENTはロジャーの恋物語だ。下の階に住むミミに恋をして、愛する勇気が持てずに躊躇って、その後一度は結ばれるものの、再びその手を離す。主人公をマークとロジャーの2人揃えたのは、当事者として苦しむ青年と、傍観者として苦しむ青年を色鮮やかに対比させている……と私は勝手に思っている。その対比のひとつがHIVの有無だ。マークはHIV罹患なし、ロジャーは罹患あり。マークとロジャーは、同じ空間で息をしているというのに、悩みの種が限りなく異質だ。最初の音楽「RENT」で彼らは歌う。
過去をどんなに突き放しても、自分の心へ忍び寄ってくるなら、どうすればそれを忘れられる?
他人、大家、恋人、自分の血液細胞ですら裏切るのにどうすれば時代と繋がっていられる?

前者がマーク、後者がロジャーである。
その他の登場人物たちの性的嗜好、HIV罹患はググればすぐに出てくるので無視します。ロジャーと、彼が恋したミミは共にHIVに罹患していた。だからこそ、彼は病気に怯えていた。自分が世界に何も遺さず死ぬことに怯え、同様に、ミミが自分を置いて逝くことに怯えた。かつて病気を告げた元カノがそうだったように。
プライドが高い故に嫉妬深くメンヘラで、判断が遅く主体性がない。死んでも彼氏にはしたくない男ランキング上位進出間違いなしだ。そんなロジャーだから、大事なことに気が付くのもそりゃあ遅かった。それでも土壇場に手を取り合えたロジャーとミミに、とある天使は少しだけサービスしてくれる。フィナーレの大合唱は、劇中で何度も歌われてきたメッセージ。『過去も未来もない。あるのは今だけ』。幕は閉じ、穏やかにカーテンコールが始まる。彼らは今を走り切ったのだ。

卓越した音楽が評価されるミュージカルだ。
幕間に流れるSeasons of Loveは多くの人がどこかしらで耳にしていると思う。ロック、タンゴ、ゴスペルと曲調も様々で、すべて作詞作曲したジョナサン・ラーソンはまじで天才だと思う。
でもやっぱり、物語もまた素敵だと思ってもらいたい。初演は1994年。LGBTQなんて言葉が広まるずっとずっと前に、海の向こうでは「愛に決まった形なんてない」と叫ぶようなミュージカルがヒットしていた。困難な時代を歌うように生き抜く人々が鮮やかに演じられていた。ロジャー役のアダム・パスカルがまたいい男なんだよこれが。憂いを帯びた瞳と無造作なロン毛がとてもいい。映画版は見るたびに眼福だなぁとため息が出る。
RENTを見るわたしたちは、彼らほど困難な世の中を生きてはいない。HIVはかつてより遥かに延命可能だし、LGBTQもだいぶ認知されてきた。己の血液細胞にすら裏切られた男の失意の叫びは、レストランで景気よく歌い上げた自由な人生は、この時代では昔ほどピンとこないだろう。
しかしかのミュージカルはいつだって、もっと普遍的な何かを訴えている。それはきっと、夜が明ければ朝が来るぐらい誰でも知っていて、注射は痛いぐらいほとんどの人間に当てはまること。
No Day But Today
わたしたちの生きる時代にだって、あるのは過去でも未来でもなく、今だけなのだ。

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