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【大ネタバレ】「マトリックス レザレクションズ」感想

ご無沙汰しております。
と書くのも白々しいほど暫くの間、放置しておりました。前回の投稿から何をしていたかと言うと、金欠で半べそをかいたり、炬燵でぬくぬくしたりしておりました。今回、投稿したのは他でもありません、遂にやって来た。やって来てしまったと言うべきだろうか。「マトリックス レザレクションズ」が公開されたからであります。

「マトリックス」シリーズといえば、世の多くの人がそうであるように私にとっても思い出深い作品であります。思えば、鼻水ばかり垂らしていた小学校低学年の頃。ちょうど映画を見出した頃ですね。DVDを何度も借りて来ては夢中になって見た作品ですよ。「リローデッド」を公開初日に家族全員で満員の劇場に観に行き(確か立見だったと思います)、ネオとトリニティーのセックスシーンで家族全員が凍り付いたのも今となってはいい思い出である。

そんな「マトリックス」が久方ぶりにやって来るとなっては、こちらも居ても立ってもいられないわけですよ。今作の予告が公開されてからはですね、常に冷静さを保つために期待値をコントロールしてですね、精神の均衡を崩しそうになったら深く息を吸う…こんな状態を繰り返していた26歳独身男性、オレ。

そして満を辞して本日の公開初日を迎えたわけです。当然ながら仕事などは入れずに、劇場へ直行。2時間半の長尺ゆえ、尿意など催さぬよう出来るだけ事前の水分補給は控え、カラッカラッの状態で鑑賞。2時間半後.....劇場を出た俺は頭を抱えていた。悩ましい....悩ましい映画である。ハッキリ言って、観た直後に書いてますので、これ以降の文章は考えが纏まっていない部分が多々あります。そしてネタバレもしております。事実関係についての誤りもあるかもしれません。しかし、この錯乱した状態を書き残しておくことも現実世界の姿である。ということで、書いていきたいと思います。

そもそも一作目の時点でマトリックスってメタな話である。というのは周知の事実であると思います。我々が生きている世界は、誰かが作った仮想現実であった。現実だと思っていた世界は大きな構造の一部でしか無く、本当の現実は別の場所にある。だからこそ一作目には誰の胸にも真っ直ぐ届く、正しくアツいメッセージがあったと思うのです。今はうだつが上がらない人生でも自分で選択し、自分が自分であることを追い求めていれば人間は「飛べる」かもしれない。これは年齢を重ねるほど心に響く話で、僕のようなぐうたらした人間にとっては20代後半になった今でこそグッとくるんですね。一見小難しい話をしているようで、ストレートに勇気付けられる作品がマトリックス一作目であったと。しかし、これはシリーズとしては諸刃の剣で、ネオが本当の自分を見つけ、文字通り「飛べる」ようになった段階でネオの内面的な成長の物語は終わっているわけです。そこから「リローデッド」で何をしたかと言うと、ただでさえメタ的な構造だった一作目に更なるメタ構造をぶつけて来たわけですよ。あれほど感動したネオの成長物語、それ自体が仕組まれたものであった。という一作目で感動すればするほどがっかりする、ともすれば蛇足と言っても良いような作品になってしまったと。初見の時は子供ですからそんなこと分かりませんでしたが、今考えれば「ふざけんなよ」って感じですよ。一作目で泣いて来た分の俺の涙を返せ!ばかやろう!そして、「レボリューションズ」は2作目の回収という風にどうにも尻窄み感が漂う幕切れになってしまった。2作目も3作目もいいところは沢山あるんだけども、ねぇ....というモヤモヤ。このモヤモヤもセットで私の中では「マトリックス」3部作なのです。

そして4作目「レザレクションズ」。「2作目、3作目ですら蛇足感があったのに、4作目ってどうすんのよ....」と思っていたらですね、また別の角度からメタをおっ被せてきやがった!というのが偽らざる思いで。ハッキリ言います!全編ラナ・ウォシャウスキーの愚痴を聞いてるように感じました。一種、彼女自身のセルフセラピーと言ってもいいかもしれません。「マトリックス レザレクションズ」は「2次創作とクリエイティビティ」の話であり、「マトリックス」を作ったウォシャウスキー自身を作品に重ねた超絶メタな作品であります。ウォシャウスキー姉妹は「マトリックス」で正しく「誰も観たことが無かった映像と世界」を創造しました。革新的な作品は2次創作の対象になる。「本家と2次創作の関係性」について非常に分かり易い例として「スターウォーズ」というシリーズを例に挙げましょう。「スターウォーズ」は2012年、ルーカスの手を離れ、ディズニーのものとなりました。そこからディズニーはルーカスの遺産を食い潰し、現在進行形で二次創作のフランチャイズを作り続けていくわけです。集められたのは「僕はスターウォーズの熱狂的なファンでね!幼い頃からスターウォーズに触れて育ったんだ!」という映画製作者たち。舵を取るのはディズニーという企業における巨大な資本主義の精神である。彼らは時に過去作の模倣という抗い難い思い入れの引力によってファンダムを歓喜させ、時に過去作を裏切り新しいスターウォーズを創造しようとした。しかしこの両者は一見、別のベクトルのものに見えても、「オリジネイターの創作物を前提とした何か」である以上、両者の間に本質的な差異は存在しない。どちらもあくまで二次創作に過ぎない。しかし、巨大な資本主義のパワーによって二次創作が正史として大手を振るって世に出回っている(なんてことだ!)。そういった意味で「オリジネイターの手を離れた二次創作に果たしてクリエイティビティは存在するのか?」という疑念が、ウォシャウスキー姉妹にはあったことは間違いないと思うのです。

今作の仮想現実世界の描き方は、その点において大変示唆的だと言える。どころか「ファンダム」というコミュニティを揶揄していると言っても過言ではないと思います。本作での仮想現実世界はオリジネイターを特定の場所に押し込め、かつての物語を利用することで安定を保っている。大きすぎる影響力を持った作品は、いつのまにかオリジネイターの手に負えなくなり、その間隙に様々な理論(例えばマーケティングやマーチャンダイジング)が挟み込まれることで無限に再生産を続けていく。そして、この世界をコントロールする人間の名前が「アナリスト(分析家)」というのも大変に示唆的です。アーキテクトは一からマトリックスを作り、ブラッシュアップを重ねたという意味で紛れもないクリエイターでした。しかしアーキテクト亡き後、システムの運営を任されたアナリストは既存の要素を分析し、様々なロジックを駆使し、要素を組み合わせ、再生産を繰り返すことで世界の均衡を保っている。つまり、この世界には真のクリエイターがいない。真のクリエイティビティが収奪され蔑ろにされている。要素の順列組み合わせにはクリエイティビティの欠片すら無いじゃないか!というラナ・ウォシャウスキーの憤りこそが本作の核なわけです。そして、その再生産のループからオリジナルクリエイターであるネオとトリニティーは自由になり、オリジネイターとして物語を語る権利を自らの手に取り戻す。それ故に、我々が過去作で観てきた景色というのが単なるファンサービスではなく、一種の地獄巡り的な意味合いすら持っている。

しかしながらですよ。となってくると、やはり本作は三部作の続編でありながら三部作とは似て異なるものだなとも思うわけです。ウォシャウスキーの私怨が乗りまくった結果、ネオはいつのまにかクリエイターになっているからですね。三部作のネオはクリエイターではない。むしろクリエイターの意思に抗い、自分の人生における決定権を自分のものにしようともがき続けた人物だったはずです。

そう言った超絶メタで自己言及的な視点によって、作品自体が再び「飛んだ」か?と言われると、そうはなっていないのが物凄く悩ましいあたりで。特にアクション。もちろん「マトリックス」的なアクションはそれこそ遥か昔に飽和状態ですよ。しかし、そこを超えて我々を驚かせるようなアクション、またはビジュアルを提示出来ていない…というのは大変に皮肉なことだなと…とにかくアクションが単調でパッとしない。ハッキリ言って平板なうえに、アゲ感も全く無くて結構辛かった。そして、メタ的な言及が話全体の筋と上手く噛み合っているかと言われれば、そんなこともない気がする…故の最後のポストクレジットシーンだと思うわけですよ。正しくダメ押しといった感じで、取ってつけたようにあるわけですけど、多分ウォシャウスキー自身も今回の物語を信じることが出来なかったのではないか?なんて邪推をしたくなってしまう。

何よりあれだけストレートに勇気づけられた映画が4作目にして「さらに遠くに行ってしまったな…」というのが何となく悲しくてですね…一作目で誰もが胸が熱くなる希望を見せてくれたシリーズがですよ、メタにメタを重ねた挙句、久々の新作で別の角度からとは言え、さらにもう一段メタを重ねたとなると総体として膨らみ切っちゃってですね。「これはもう俺の話ではないな」と。でも、それこそがラナ・ウォシャウスキーの狙いであるからこそ、引き裂かれるような思いがありますね。「テメェら好き勝手に『俺たちのマトリックス』とか言ってっけど、私たちのだから!」というね。その気持ちも分かるし、何よりオリジネイターに言われてしまえばこちらは言い返すことは出来ないわけですよ。

とは言え、良いところも沢山あった!特に過去作を「無かったことにはしてない」という点は大変好感を持てました。三部作でのネオやトリニティー、モーフィアスの戦いは何一つ無駄になっておらず、世界は少しづつでも前進している。という設定にはグッときてしまいましたよ。人間と仲良しの機械クンたちも良かった!出てきた瞬間から、「かわいいっ!あぁ、かわいい!」なんつってメロメロですよ。思えば、マトリックスシリーズって明確にキュートなキャラクターっていなかった気がします。そして、スミスですね。僕は「リローデッド」「レボリューションズ」のMVPは間違いなくスミスだとおもっていて。てか、その2作はスミスの話じゃねぇか!とすら思っているんですね。何が良いって「俺は自由になった!どいつもこいつも気に食わねぇから全部ぶっ壊してやる!」というやけっぱち精神ですよ。そして、今回も彼は一貫している。「自由でいること」を誰よりも希求して止まないのは間違いなくスミスですよ。やはり好きだな僕は。

と言うわけでね、観た直後の勢いで描いてみましたよ。どうせもう何回かは観るんでね。今日はこの辺で失礼致します。

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