ザ・ディープハウス〜感想〜
「ザ・ディープハウス」を観た。
個人的に2022年は「ちょうどいいホラー」が豊作の年だったと思っているのだが、その中でも本作は「ちょうどいい of the year」獲得。監督を務めたアレクサンドロ・バスティロ&ジュリアン・モーリーのコンビにはお歳暮的に伊藤ハムのギフトセットでも送ってあげたい気分である。
まず本作は85分という尺が素晴らしい。ちょうど良すぎる。映画を観ては「長ぇ、長ぇ」とぼやいている僕にとってはまさしくベストな尺といえる。いきなり脱線するが最近は「ワカンダフォーエバー」しかり「アバター」の新作しかり平気で3時間近くやりやがるから面倒くさい。かつてヒッチコックは「映画の尺は80分がベスト」だと言ったが、この意見は目紛しいパラダイムシフトを繰り返す映画業界において数少ない絶対不変の真理だ。もし「同じ料金なら長い方が得」だと考えている製作者or観客がいるとすれば、それはあまりにさもしく救い難いコスパ思考の末路に他ならない。3時間も座って観てられるか。映画は2時間以内で収めろ。
本作は非常にオーソドックスな「幽霊屋敷モノ」である。お話だけ取り出せば目新しいものは何もないのだが、見事なアイデアの積み重ねと「頑張り」によって、観客を繋ぎ止めることに成功している。
お話はいたってシンプル。主人公の「廃墟探検カップルYoutuber」(そんな奴はホントにいるのだろうか?)とも言うべきひと組のカップルが、フランス郊外の湖に沈む廃墟を探検して酷い目に遭う。以上。絶妙に「いつ死んでもいいようなどうでいい2人」が、気づけば呪いと酸素残量低下による溺死の危機のダブルパンチをくらうものだから流石に可哀想になってくる。
この2人が「微妙に伸びてないYoutuberである」という設定が実に見事だ。どうやら平均再生回数は5万回程度。5万回でも充分凄いじゃん!と思うのだが、それでは満足な収益を得ることが出来ないらしい。Youtube一本で生計を立てることが如何に大変か思い知らされる。そんな彼らとしては何としてもバズる凄い動画、凄いキメショットをモノにしたいので「いや、そんな怖い場所ならさっさと帰ればいいじゃん」という(「スクリーム」のケヴィン・ウィリアムソンが言いそうな!)性格の悪いツッコミを受け付けない設定になっているのが上手い。また、彼らは伸び悩んでるくせに潜水器具、撮影機材(GoProをはじめ、カメラ搭載の水中ドローン、無線機、水中で音楽を流せるApple Watch的なヤツなどなど)に大胆な先行投資をしており、明らかに採算は取れていなさそうだ。どっからその金は出てるんだ?!と考えること自体が一種のホラーであり、そんな金があるのなら俺によこせ!と思わなくもないが、この馬鹿げた先行投資のお陰で映画が面白くなっているのだから有難い。
本作には様々な視点が入り混じっている。2人がゴーグルに装着しているGoProからのPOV視点、水中ドローン、さらには客観視点だ。これらの視点がランダムに混在することで、「2人が見ている視界」と「2人には見えていない死角の部分」によるサスペンスが機能している。ただでさえ不明瞭な水中の視界の外を観客に意識させるので、どこからどう怖いことが起こるのか予想出来ず、それによって観客を極限まで引っ張って行く。また「単に視点を切り替えるだけでジャンプスケアが成立する」という点においても、シャープで効率的な演出だ。確かに誰が撮っているか分からない客観視点を入れ込んでしまっていることで、映画的なフェアネスは損なわれているが、パッと見た限りではそれが水中ドローンによる視点なのかどうか?の判断はつきにくいので比較的違和感なく溶け込んでいると言っていい。また視点の切り替えによって霊力による幻覚と客観的事実の棲み分けを行なっている点もスマートだし、それをフリとして使うあたりもよく考えられているなぁと感心してしまう。
また、各所で言われていることだが「水中+幽霊屋敷」というありそうでなかった組み合わせによって、「水中ゴシック」とも言えるルックを獲得している点も素晴らしい。ゴシックホラーは得てして幻想的かつ耽美なムードを醸し出しているものだが、現代においてゴシックなルックを持った映画は「ゴシックホラーというジャンルのサンプリング枠」に自動的に押し込まれてしまう。例えば、ギレルモ・デル・トロの
「クリムゾン・ピーク」は「往年のゴシックホラーを現代的に語り直す」作品であり、「ジャンル映画のサンプリング感覚」が立脚点となっていることは否定のしようがない。そんな中において本作の、状況による必然性を持ってしてゴシックなルックが無理なく組み込まれている点はアイデアの勝利としか言いようがない。水中にありながら格式高くどこか整然とした幽霊屋敷のセットも去ることながら、水中を漂う塵が往年のゴシックホラーにおける「濃霧」の役割を果たし、斜めに差し込む微かな光が「純ゴシックホラー的」な色気を纏っている。
何と言っても本作の「頑張り」には頭が下がる。本作はほぼ全編に渡って水中で話が展開していくわけだが、その全てのシーンが実際に水中で撮影されている。巨大ポンプの中に幽霊屋敷のセットを沈め、撮影が終わったらセットを引き上げる。という気が遠くなる作業を経て、これだけ「ちょうどいい映画」が出来上がっていると思うと、「ちょうどいい映画」だって生半可なことでは作れないのだなぁと思う。
バスティロ&モーリーのコンビといえばニューウェイブ・フレンチ・ホラーの代表格である「屋敷女」における「妊婦の腹を馬鹿でかいハサミで切り裂いて胎児を取り出す」という、やり過ぎにも程がある描写で名を上げた人物だが、それ以降の作品にはどこか停滞感を感じずにはいられなかった。同世代のアレクサンドロ・アジャが持ち前の剛腕を振るっている間にも、彼らはハリウッド進出に失敗し(不幸なことにプロダクションとの折り合いが悪かったらしい)、ハリウッドに愛想を尽かした2人は再びヨーロッパに戦場を移した。そこから快作「呪術召喚/カンディシャ」を経て、本作を生み出したと思うと胸が熱くなる。「レザーフェイス−悪魔のいけにえ」でボロカス言ってスマンかった。あれはシリーズを安売りするキム・ヘンケルが悪い(たぶん)。
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