义勇军进行曲(中国国歌)の作曲者

中華人民共和国の国歌、义勇军进行曲の作曲者は聂耳(ニエアル)という方だとご存知だろうか。

藤沢の鵠沼海岸にて义勇军进行曲(義勇軍行進曲)を作曲した年の1935年(昭和10年)、日本を訪れていた聶耳は7月17日の午後、友人と遊泳中の鵠沼海岸で帰らぬ人になったそうだ。

义勇军进行曲でネットサーフィンしていたらここに辿り着いた。

後の1949年(昭和24年)に中国の国歌になった作曲が日本で行われ、歴史的背景があるのはこの時知った。

聂耳の存在によって昆明市と藤沢市が姉妹都市になった

昆明市(云南省の省都)と藤沢市(神奈川県の一市)、市の規模からして立ち位置が違い過ぎるが姉妹都市になる得る事を知った。

君が代はきちんと歌える事が出来ないが、义勇军进行曲は歌える様になりたい。中国語を話せる様になりたい気持ちの一環もあるが、何よりリズムが良い。

聂耳をもう少し分かる様になりたい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?