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悠優自適

もともと在った多様性が表出した現在。

あらゆる可能性の示唆は コアな才能や資質で満ちている。

どこか自分を推すことと誰かを推すことが拮抗している様相を感じる。

決め付けや思い込みを修正するツールが増えた。

様々な生き方のモデルがあることは 以前から知っていても 実際に リアルな姿やライフスタイルの情報を得るには手間が掛かっていた。

今は 検索手段が数多に拡がったから 好きで必要な情報を手軽に閲覧することが出来る。

その一方で 可視化され過ぎた弊害というか誤解も急増した。

SNSでの過剰で他人事な言葉には戦争味を抱いている。

近頃の若い世代では 目立つ事や尖る事を避ける傾向が強い。

なぜか?

手軽に開いた端末には 特定の人を抉る惨劇。

心を置き去りにした言葉が1つの命を終わらせることを目の当たりにしているから。

時速を増した情報スピード。

それに触れるスピードも また速い。

怖いよな。

ターゲットになったら 気遣いも心遣いも無視した豪速球が心臓を狙って飛んでくるんだから。

ここで人間性が問われる。

言えた義理じゃない生き方を選択している自分が いくら書いても叫んでも説得力の欠片もありはしないけれど。

これまでの人生経験から見出した現在の結論のような持論はあるわけで。

何もかもでバランスを取るのは難しい。

どんな時代や状況になったとしても優しい光を発していたいなと戒めていきたい。

自分がするのは良くて 誰かがやるのは許せない。

ダイレクトで自分にターゲットが向いていない内は流す。

いざ自分事になると赦しを乞う。

そんな時に生き残るのは やはり日常的に自分と他人を基本的にはイーブンな心遣いで過ごしている人だろう。

カッコ悪いのは好きではないからね。

普段から 他人を巻き込んで縦横無尽な立ち回りをしている人を助ける絶対数は少ないのは明らかで。

人間は矛盾の生き物。

それはきっと これからも今までも変わりたがりながら変わり切れないだろう。

狡さや計算高さは消えることがないから。

まぁ自分は縦横無尽まではいかないけれど そっち寄りな理解はされづらい生き方を選んでいるけど。

これまで たくさんの人達に貰ってきた優しさを可能な範囲ではあるけれど返していけたらとは やっぱり考える。

これは綺麗事とかじゃなくて 本当に感じること。

小さな優しさや気遣いが人を笑顔にもすれば不快にもさせる。

それだけなんだとしみじみ感じる。

悠々自適は 少しだけ説明不足で愛情不足な気がしてる。

悠々自適な生活にほんのり優しさを加えて生きていれば『悠優自適』になる。

文化や技術が進化を続けるように 言葉も進化していく。

年齢を重ねるといわゆる若者言葉を使うのを躊躇う感性を否定するつもりは更々無いんだけど 極端なズレがないなら使っていけばいい。

言葉の意味や知識があることが素晴らしいのではない。

既存の言葉や知識を活かして若者言葉や新しい言葉とマッチングさせて コミュニケーションをしていくのが 最も有効で素晴らしい。

コアな例えにはなってしまうけど エヴァンゲリオンに乗っているパイロットのシンクロ率が機体と合ってないと言うこと聞いてくれないじゃない?

いつまでも変わらないモノは ただの1つとして存在しない。

命も永遠ではない。

建造物がずっと新しいわけじゃなくて劣化していくように。

心もまた進んで鍛えられて考えは更新されていく。

優しさの根底は認めること。

始まりにも書いた多様性なんかはタイムリーで理解度を高めながら時間が進むだろう。

受け入れるのではない。

受け止めること。

受け入れてしまうと ただでさえ脆い命は散り急ぐ。

拙速な言葉の束で。

多勢に無勢な銃弾で。

ターゲットは悠優自適に生きていたかっただけかもしれないのに。

仮想世界のテリトリーがプライバシーなテリトリーを侵食する。

『あなたと同じ道には進まない』

やめてさ。

『あなたはそっちの道に行くのね』

でいいんだよ。

否定するように見捨てるんじゃなくて。

軽く気にしながら尊重する。

少なくても自分は そんな世界で目を閉じたい。

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