【第10回】自己開示が苦手な僕はエッセイを書き始めた。
僕は自己開示がめちゃめちゃ苦手だ。
自己開示とは自分のことを他者に明かすこと。他者とのコミュニケーションを取り仲良くなっていく過程でとっても大事なプロセスだと思っているのだけれども、これが苦手で苦手でしょうがない。
例えば趣味は何?って聞かれたとき非常に困る。
決して趣味がないわけじゃない。YouTubeで動画(特にゲーム実況)を見ることやインターネットの記事を読むこと、つまりはネットサーフィンだ。他にも知らない店(特にレトロな店)にふらっと入って食事をするのが好きだ。最近は金がなさすぎであんまり行けてないけどどこかへ旅行行くのも好きだ。最近は銭湯やサウナにハマってたりする。だけど答えに詰まってしまって、趣味あんまりないんですよね…って答えてしまう。
他にも好きなアーティスト誰?とか好きな曲何って聞かれるのも困る。
そもそもアーティスト単位で好きにならず好きになった曲が好きというタイプだし。J-POPはそれなりに有名なやつは聞いてるつもりだし、洋楽も聞く。ボカロも有名どころは抑えてるつもりだし、思入れしやすいからアニソンもそれなりに聞く。でも聞かれると答えに詰まってしまう。
この言い淀んでしまうのは何でだろうと思ったとき大きく分けて『恐怖』『諦め』『無思考』の3つの理由があった。
『恐怖』とは否定されるのが怖いということだ。
自分の好きなものなどが否定されたりするのは結構しんどかったりする。周りと合わないことが昔から多くて否定されたりすることも多かったからトラウマになっているのかもしれない。
けれども実は何かに対して問われた際に意見を言うのはそんなに苦手じゃなかったりする。こういった企画考えたんだけどどう思う?とか、この問題についてどう思う?という問いに対しては意外と拙いながらも答えられたりするのだ。
だってそれは僕の意見であって僕ではないから否定されても構わなかったりする。そりゃ自分の意見が否定されたりしたら落ち込んだりするのだけれども、すぐ切り替えができたりできるわけだ。
『諦め』とは結局、誰も理解してくれないという諦めのこと。
あまりにも周りと合わない経験が多かったせいでどうせ話しをしても理解されないんだろうなという半ば諦めた気持ちがどこかにあった。
実は口に出してみると意外な共通点も見つかることも増えてきたので、この気持ちはどこかに捨て去りたいなと思っている。
『無思考』とは文字通り考えていないことだ。
『恐れ』や『諦め』があったから自分のことに関して発信する機会がこれまでほとんどなかった。
発信する機会がないから結局、全然考えていないのだ。僕はアドリブがめちゃめちゃ苦手だから考えてないことは聞かれても答えられないのは仕方がない。
とにかく自己開示が苦手だということは理解してもらえただろうか。
けれども僕はこのままじゃいけないと思っている。自己開示をしないということは孤独であり続けるからだ。
ここの人はきっと僕のことを理解してないんだろうなとか、理解してもらえないんだろうなと思いながら過ごしていくのは、あまりにも孤独じゃないか。
そうして変なところで爆発して、相手もどう受け取ったらいいかわからないし、僕自身もどう伝えたらいいのかわからない自己開示をしてしまうことになる。
だから自己開示の練習でエッセイを書こうと思った。エッセイという形を取ったのは自由に本音が書きやすい気がしたからだ。
せっかく自己開示しているのだから読んだ人に楽しんでもらいたいし、僕なりのユーモアの中に本音を織り交ぜ散りばめて書いてるつもりである。
とは言うもののこれは僕の事情でしかないので、これを読んでくれてる人には、とにかくそういう細かいことは気にせず読んでくれたら嬉しい。どうせしょーもないことしか書いていないのだから。ただ今日は10回記念しかも飽き性の僕が10日連続で更新できたということでちょっと書いてみた。
特に僕は2020年3月には新卒社会人として会社という目的を持った大きな組織に所属する。そうなったときにただ仕事をするだけならば深い自己開示は必要せずともやっていけるだろう。今の時代はきっとそんな時代だ。そして組織に所属するということはそういうことなんだと思う。
想像してみると自己開示ができないまま年老いていくのがとても嫌に感じる。孤独のまま死んでいきたくないのだ。
ちなみにこのエッセイは大学卒業までに文庫本一冊分書くこと。週1回は書くことをとりあえずの目標にする。それくらいゆるい方がきっと続けられるんじゃないだろうか。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました! ご支援いただいたお金はエッセイのネタ集めのための費用か、僕自身の生活費に充てさせていただきます。