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私の城

上京して以来、衣食住の住の部分が脅かされるのは6年ぶり二度目のことだけど、生まれ持ったものの他に自分の意志で選び取ったものをこそ尊いと思ってきたから、人生で最も長く暮らした7畳1Kも、地元以上に勝手知ったるこの街も、そう簡単に明け渡せないと思っていた。6年前に私が負っていた「生活を守る責務」というのは、ひたすらに意地で、頑ななアイデンティティで、手放すもんかと、邪魔されてたまるかと、大切なものを胸に抱きながら誰かを睨んでいる心地だった。構築中だった初めての私だけの世界に、誰にも手出しされたくなかった。ほとんど闘争心で、それだけに生かされており、自分も他人も敵だったに違いない。

築27年の私の城も、いい加減ガタが来ている。一ヶ月で三度も悪しき害虫を駆除した。水漏れでバケツだらけの部屋では、水の滴る音で眠れない。電気の配線に水が回って漏電し、猛暑の中で停電。賃貸なので、繕いながら住み続けることは十分にできるのだろうけど、人と人との関係性が時間を経て変化していくように、人だって住まいだって歳をとれば間を繋ぐものは変わる。縁って変動的で、たぶん波形だ。互いの持つ波の重なりのことだ。一度できた縁は互いに呼応して、強まったり微弱になったり、かたちを変えながらずっと続いていく。重なりが大きければ、結びつきが強ければより良いということもなく、その時々で、二つの波の適切な距離感がある。別れすべてがもの悲しいわけではない。離れることが正しい時だってある。きっとはなむけなのだ。転勤族で育った私が、初めて自分の意志で住み続けることを選択できた、初めて好きなだけ身を置いていられた、街と部屋。普通に出ていくんじゃあんまりさみしくって別れがたいから、できるだけ泣かずに済むように、背中を押してくれている。後腐れなくこの部屋から出ていけるよう、見送ってくれている。私だけの城に籠っている必要がもうないこと、この部屋は気がついているのだ。だって知らないはずがない。11年3ヶ月。私のすべてを見てきた部屋だ。地獄も涙も思考も暮らしも。自分のこともろくに分からなかった18歳の子供が、今年30になる。私は私のままのはずだけど、当時と今では何もかも違う。11年変わらなかったのは、この部屋に帰って眠ることだけだった。

今朝電話越しにかけられた言葉は、私が11年かかって自分で自分にかけてあげられるようになった言葉そのものだった。私を幸せにできるのは私だけのはずだったし、今でも誰かに幸せにしてもらおうなんて微塵も思ってない、自分の機嫌のとり方は自分が一番わかってるし、私を一番に愛してあげられるのは私に決まっている。けど。彼にもらった言葉、これがどんなに尊いことか。この人の素敵さに気がつく度に、自分が自分で良かったと思える。この人の良さをわかる自分でいられていることが嬉しい。

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