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希死念慮との向き合い方

そもそも、希死念慮と向き合わないのがよい。

けど、どうしてもこれを考える。僕の場合、鬱っぽくなってるとき、何かがうまくいかないとき、希死念慮に取り憑かれる。最近もそれに取り憑かれてた。そのため、ずっと、どのように首をかけるか想像してた(住んでる家の天井が高いせいで容易に想像できる)。

もちろん、調子がいいときは、希死念慮なんて出てこない。いまだってそうだ。この調子がいいときに希死念慮という死神に追い付かれないように全力で走る必要がある。しかし、今までの人生で全力で走りすぎてぶっ倒れて、躓いて、怪我して、追い付かれたことが何度も何度もあった。会計士試験のときもそうだ。ぶっ倒れて追い付かれて、がんじがらめにされて、立てなくなった。同じ過ちを繰り返してしまった。結局、自分で立ち上がれなくて、彼女に助けてもらった。本当に感謝しかない。彼女がいなければ、今の自分はないとまで言える。彼女は世界で1番すごい人である。

ここでようやく、休むことを覚えた。休むと全力ではないように思えた。頑張ってないように思えた。しかし、「休むのも相場」との格言があるように休むことも実力なのだ。休むことで心に余裕ができた。なぜか時間にも余裕ができた。多分いい方向に前進していると思う。

最近では、泥臭く、近道もなく、一歩一歩手探りで、その軌跡が希望になるとすら思える。そして、僕は休みながらも前進する。希死念慮が見えなくなるまで。

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