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親父の教え(中編)

 今日もおつかれさまでした。帰りの電車から見た空は、これまで見たこともないような色の夕焼けでしたが通路側に座っていたので写真を撮ることもできず、隣のおっさん越しに呆然と眺めるだけでした。真っ赤にもみえたし、オレンジがちょっと入ってるようにも見えた。イワシ雲に映えて神々しいくらいの。電車下りたら写真を、と思ったけど、夕焼けってすぐ色が変わっちゃいますね。乗り換えの駅から降車駅までの10分くらいで、もうブルーの方が濃くなって遠くに消えてしまいました。残念。写真撮りたいって焦らずにその10分間を満喫すればよかったなあ。反省。さて、昨日の続き。もういいか。なんだったっけ。そう、清貧の話だ。

親父

 私の親父は、所謂ブルーカラーで、学歴も社会的地位も高くない。人付き合いもよくないので、人脈をつくって成功するみたいなこともなく、自分でバリバリ働いてお金を稼ぐという人でもない。だから家は確かに貧乏だったと思う。あまり欲のない人なんだと思っていた。昔の人らしく、酒とたばこはやったが、飲み屋に行くでもなく、安い焼酎を家で飲んではすぐ酔っぱらって寝ていた。
 自転車やキャンプといったアウトドアが趣味で、こだわって自分なりにカスタマイズしたものに乗ったり、改造したり、割と高いものをそろえたりしていたようだが、それも大の大人がする出費としては大したことはなかったと思う。多分。
 本はそれなりに好きだった。いつも寝る前に布団で文庫本を寝っ転がって読んでいた。内容は、司馬遼太郎とか陳舜臣とかの歴史ものが多かった。朝も早く起きて必ず朝刊を読んで仕事に出かけていたし、テレビもあまりバラエティーみたいなのは見てなかった。ニュースとか、やっぱり歴史がどうとかそういうの。だから、私は知らず知らず、そういうものがいいものなんだと思うようになっていたんだと思う。お金がなくても、寝っ転がって好きな本を読んでいられたらいいんだと。あるいは自分の親父を無意識にでも肯定したかったのかも。

BROTHER SUN SISTER MOON

 ただ、親父はそういった本で得られた知識とか、自分の経験を子どもに語って聞かせるような人ではなかった。母親との会話の中で、何度かその「清貧」ってことばを口にしていたような気もするが、もうはっきりとは思い出せない。おそらく、お金がないってことに対して、俺はこれでいいんだって意味でその言葉をつかっていたのだと思う。
 ただ、私が「清貧」に心をつかまれてしまったのは、もちろん親父の言い訳がましいことばではなく、”BROTHER SUN SISTER MOON”というタイトルの映画だった。この映画は、アッシジのフランチェスコの半生を描いた映画で、正に「清貧」がテーマみたいな映画。今でも『砂の器』かこの映画さえあればどんな精神状態でもきもちよく泣ける自信がある。
 それも、多分親父がレンタルしてきて家族に見せたとかではなく、金曜ロードショーとかでやっていたのをたまたま見ただけだと思う。ごまかしてはいたが、親父はその映画を観て泣いていたのだと思う。同じ映画をみて感動したという共通の体験によって、フランチェスコの生き方、「清貧」の生きかたが私に対する親父の教えになってしまったのかもしれない。

 なんか、今日はダラダラと長くなってしまった。結論にも行きつかず。見出しをつけて書いてみたかったんです。とりあえず今日はここまで、まさかの3部構成になりました。では、また明日!

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