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感動のゴールの裏でボコボコにされる俺

やあ久しぶりnoteちゃん。
夏休みで時間は腐るほどあるのになんだか勢いがなくなってしまって、日が空いてしまいました。

気分が乗ってるときはガンガン進むんだけどね、突然それがなくなるんだよね。まあ別にお金もらってるわけでもないし、やりたくなったらやるし読みたかったら読んでくださいね。

えーとなんだっけ、東京に戻ったところだよね。
そうそう、ヒロとの約1ヶ月の大阪暮らしを終えて東京に戻ったんだ。

夜行で帰ったから朝には東京に着いてたはずなんだけど、長らく家出してたもんだからすぐにばーちゃんちに行く勇気がなくてどっかで時間潰してから夜に帰ったんだよね。

ばーちゃんちに着くと、じーちゃんとばーちゃんと母親がいた。(前日にばーちゃんと電話したのを聞いてばーちゃんちで待ち構えていた)母親には速攻怒鳴られてめちゃくちゃぶん殴られた。髪の毛持って引きずり回されましたね。腰の曲がったじーちゃんが一生懸命止めに入るけど全然意味ねえの。母親の勢いが凄すぎてさ。

母親の怒りが落ち着いた頃、俺の髪の毛は引きちぎれて床に無数に散らばってた。じーちゃんは仏頂面で腕組んでイスに座ってて、ばーちゃんはずっと泣いてた。この日、8月の終わり頃だったからちょうど24時間テレビやってたんだよ。サライをBGMにボコボコにされることある?ふざけんなよ加山。人がボコボコにされてるときになに感動のゴール迎えてんだよ。走ってる場合か。そういやあのとき誰がマラソン走ってたんだろ。

その日から再び俺はばーちゃんちで生活することになった。じーちゃんばーちゃんは長らく家出し心配かけまくった俺のことを相変わらず可愛がってくれ、お前がおかしくなったのは全て母親のせい。こんなことなら小学校に入るときに母親の方へ連れて行かれるのを意地でも阻止すればよかったといつも言われた。

夏休みが明けるとばーちゃんちからチャリで10分の距離のファミマでバイトしつつ、電車で学校に通った。

母親と暮らしていた家と違ってばーちゃんちは遠い。片道1時間はかかる。だから友達ともあまり遊んで帰らなくなった。昼間はちゃんとバイトして、夜は学校に通った。

そのまましばらくばーちゃんちで暮らして高校1年生が終わり、2年生になる前の春休みあたりになって母親から帰ってこないか?と持ちかけられた。弟にはあんたが必要だから、3人で生活をやり直そうと。きっと弟と2人で暮らすのがしんどくなったのだろう。そもそも育児とか出来ない人だしね。俺も俺で安全な生活を送って不自由なかったけど、電車で1時間以上かけて学校に通うのがしんどかった。今じゃ絶対そんなのに騙されないけど当時は弟が可愛かったし、今度こそ母親が変わってくれるかもしれないと仄かに期待していたのも事実だった。

春休みが終わる前に家に帰り、再び母親と弟と3人で暮らし始めた。
近所のミニストップでバイトも決まって(どんだけコンビニでバイトすんねん)、昼はバイト夜は学校のルーティーン。

しばらく昼の仕事をしていた母親だったけどそこの社長と揉めたかなんかで辞めることになり、知り合いが六本木で出した飲み屋の手伝いをすることになった。ホステスではないが夜の仕事だった。

学校が終わって家に着くのが22時、俺が帰ったのと入れ替わりに今度は母親が仕事に出る。
帰ってから弟を寝かし付けるため俺は学校帰りに友達と遊んだり出来なくなったけど、帰らないと弟が一人になってしまうし母親にブチ切れられるのでちゃんと真っ直ぐ帰ってた。

母親は夜出て朝には帰ってくる。だけど酒飲んでるから大体帰宅後にすぐ爆睡。前みたいに酔って暴れることはなかったけどそのうち家のことを全くしなくなった。少しずつ少しずつ帰りが遅くなり、さらには帰ってこない日も。朝の保育園の送りは俺が担当していて、母親が迎えに行っていたけど帰ってこない日は俺が迎えに行って夜もいなきゃいけないから学校も休むことが増えた。多分男がいたんだろうね。酔って暴れたりしてないことから察するに上手くいってたんだろう。たまに帰ってきてもごめんねーと言ってお金置いてすぐいなくなるし。ただ学校に行けない日が増えるとシンプルに単位がやばい。夏休みに入る頃にはかなりギリギリの状態になっていて、担任にも2学期はちゃんと学校に来ないと進級出来ないぞと注意されるようになった。

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