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20年目の発酵教室#好きだから続く!!紆余曲折プロフィール①

『湘南の小さな発酵教室レザンジュブラン』という発酵料理教室、天然酵母パン、天然酵母のお菓子教室といった発酵づくしのクラスを開催しております、和田和歌子です。

2001年より開校し、これまでのべ12000人以上の生徒さんに『からだにいい食、こころが癒される食と、自分の手で作ることで感じられる創作の楽しさ』をお伝えしてきました。

多くの方に、長く続く理由や方法を質問していただくのですが。     
振り返れば、技などはなく…

『やりたいからやる』という軸と、直感に従う柔軟性。超シンプルです。

今のコンセプトは『心と身体を元気にする発酵理教室』ですが、ここに至るまで、山あり谷あり紆余曲折しながら成長してこれたのだと思います。

noteを始めたこのタイミングに、レザンジュブランの現在に至るまでのSTORYを3回に分けて掲載させていただこうと思います。
私の自己紹介も、それにつなげて書いていけたらと思います。

みなさまにとって食のヒントや、教室の継続のヒントになれば、うれしいです!

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レザンジュブラン主宰をしています和田和歌子です。

本当にやりたいことしかできない不器用な学生時代 

子供時代は、小学校低学年から図書館ではお料理本を借りる反面。      
敏感な気質に伴う体調不良で、小学校も休みがちでした。

大学時代に一大決心をして、食を見直し独学で体質改善に挑戦し、成功。 
ここで、食で人生が変わることを少し体験することとなりました。

「どんな時に何を食べるかを、自分で感じて選び、料理する」
ということでわたしの人生は健康的で豊かなものに変えられると、気付きました。

もともと生き方も不器用な方で、天然だねー! と周りには受け入れてもらいながら…  要領よくノリよくがうまくできず、どこかで自信のなさも感じていました。

大学では、工学部にて『街作り』を専攻していました。

自分のやりたいこと(=モノづくりや衣食住)を、仕事にしたいと思い、周りの反対を押し切って進んだ道でした。

ですが在学中に、不一致感を感じるようになってきたのです。憧れていた街づくりの分野、でしたが・・・

とてつもなく大掛かりな規模を取り扱う事業形態ということを知るほどに、自分のおもいがどんどん冷めていくこと、とても切なかったです。  

そんなはずなかったのに… 

そうしてわかったのです。 

本当はもっと身近なかたちで誰かの笑顔を作りたい!!と気づくことになりました。

ですがせっかくなので、街づくり事務所のアルバイトも2か所紹介してもらい、夏休みなどを利用して、実際に体験してみました。

その時感じたことが
『この仕事は、本当に好きでなければ続けられない』⇒重い責任。

そうして
『わたしは、本当に好きなことを仕事にしたい』⇒そこまで好きではない(笑)
この2点。シンプルですが、強い確信でした。     

『コレと決めたことに熱中したい!そうしたら成し遂げられる』と直感で感じていたためです。

大学3年~4年のそのころ、本当に自分が何をやりたいか・・・     
とにかく真剣に考えた時期でした。

やっぱり、出てくるキーワードは
『食』 『オリジナル』『自分やまわりの喜び』
この3点に行きつく日々でした。

そんな時に『好きを仕事にする!!』という
本当に当時は先がけな(24年前の時代ではレア過ぎる 笑)タイトルの雑誌に出会い、心を決めることに。

これまでの『当たり前のことをソツなくこなせるように』という風潮の中で、モヤモヤしていた私は、ビビッと衝撃を受けました。

貯めたアルバイト代で、大学4年生からその雑誌に掲載されていた『フードコーディネータースクール』へ通い始めました。            

初めて感じるわくわくやドキドキという、湧き上がるエネルギーを知りながら。 

アルバイトも、レストランのホール係を任されていたのに、突然キッチン担当を願い出て、周りを驚かせたり。

これまで何となく遊んだり、アルバイトしたり、大学に通っていたのは『そういうものだ』という枠の中で選んできたことで。

情熱を感じたり、何かを精いっぱい思いっきりやってはいなかったと、初めて気づきました。     

遊ぶ以上に楽しくて幸せなことに出会えたタイミング、でした。


社会人になってから出直し!栄養士を取得


社会人になって働きながらも「食」について、もっと深く学びたくなり、栄養士の資格を収得することに決めました。
栄養士は、2年間みっちり栄養士専門学校へ通う必要があり、再び学生へ

会社で働いたお給料をすべて学費に費やして、心機一転で向き合うことに。

5歳くらい年下の同級生たちに『ねえさん』と呼ばれながら、うまれて初めて授業をまじめに受ける喜びを感じていました。

授業の後の夜時間や、夏休みなどの空き時間に、フードコーディネータースクール、料理、お菓子、パン教室などで学び尽くし。    

様々なレストランの業界でも働き、「食」の世界に魅了されてゆきました。

毎日『食』について新しく知ることや学ぶことばかりで、本当に楽しかったです。
元気な20代前半だったため、全力投球で寝るのも惜しく、充実した日々でした。

人は本気で情熱を出すと、すごくパワーが出るのだと、知った頃でした。

そのころ、キッチンでアルバイトをさせていただいていたあるレストランで、シフォンケーキやタルトを買い取ってくれることがきっかけとなり、更にお菓子を本格的に学びました。

うれしくて、うれしくて、レストランのオーナーさんにOKを出してもらえるまで、お菓子を必死に作りなおした頃。(こちらについては、また書きたいと思います)
本当に純粋に、楽しかったなと思い出します。

レシピづくりの面白さを知る、ありがたい機会となりました。

既存のものではなく、理想のものを作るためには、五感を大事にすることにも気づき始めたころでした。

学ぶだけではなく、「食」の面白さ、奥の深さを「伝える」方に興味がわき、 大手パン教室で講師として働きはじめました。
大手の良さは、設備や体制が整っていることの安心感。        

自分もその中の一員として、一生懸命教えながら、学ばせていただくことがたくさんありました。

また、専門学校の卒業とともに栄養士の資格を取得できましたので、栄養士として就職もしました。とにかく何でも経験してみたい!元気な25歳(笑)

新しい特別養護老人ホームのオープニングスタッフとして、また現場のチーフ栄養士として。                          

新米社員なのに、一番責任の重いチーフとなり格闘の毎日でした。

4時に起き始発電車で栄養士の職場に向かい、夜の18時からはパン教室でパンを教えている…という、若さの象徴のような働き方でした。

ようやく『食に関わる仕事ができた』という喜びで、数年間続けられました。

そんな中で、自分の理想もだんだん変化してくる流れとなります。

自分が本当にYES と思えるものを作って、広めていきたい。
それが楽しいに決まっている!
というおもいを100%信じて。

2001年に同じ考えの同志たちと、今の教室『レザンジュブラン』を開校しました。


いよいよレザンジュブラン開校


最初は天然酵母パンの教室として、マンションの一室を借りてのスタート。

ドキドキしながら、始めるうちに生徒さんも集まってきてレッスン数も増え始めました。                   

開校1年で、栄養士も退職し、教室一本で頑張ると決心して。

オリジナルのパンも、お菓子も、お料理も、喜んでいただけました。

おいしさの定評がしっかりついてきました。
毎月ごとに新作をどんどん開発して研究して。

うれしい!たのしい!その分がんばらなきゃ!

次々レシピを作り、新しいレッスンを開催していく毎日でした。

向上心の上の食べ歩きや、食に関する情報収集にも暇を見つけては時間を費やしていました。

ようやくやりたい仕事ができるという、喜びと。

自分より年上の生徒さんばかりだったため、もっともっと向上しなければというやる気とプレッシャーで、仕事一筋の20代後半でした。

美味しいものをみんなに伝えて、喜んでもらいたい・・・
その一心で、レシピもどんどん増えていきました。

そんなある時期、仕事が多忙を極め過労が重なり、体調を崩したり、アトピー性皮膚炎となったことが、私の大きな転機となります。

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長文ご拝読いただきありがとうございました。

開校20年目の発酵教室#マイプロフィール②につづく

しばしお待ちくださいませ!

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