母とのある思い出
いままでの人生、数えきれないくらいのやさしさにふれてきた。私にとってその多くは家族、特に両親からだと思う。
私は、やさしさと言うと相手から暖かくて幸せな気持ちにしてもらえること、相手に対して思いやりをもつこと、相手を気遣うこと、と思ってきた。今回やさしさにふれてのコンテストに応募する記事を書く時に、ふとある出来事を思い出した。
中学生の頃、嵐のライブに見にいくために、私は母から双眼鏡を借りた。しかし、それをなくしてしまった。その時、咄嗟に出たのは
お母さんから借りた双眼鏡失くしちゃった。また新しいもの買って返すから
それをどんな表情で、どんなテンションで母に伝えたかはあまり覚えてはいない。
でも、母がその後に言ったことは今でも覚えている。
お母さん、悲しいな。失くしてしまったってことをね、責めてるわけじゃないの。ただね、もしその双眼鏡がお母さんにとって思い出深い大切なものだったら?だれかからプレゼントされたり、自分で初めて買ってずっと大切に使っていたものだったら?2525にはわからないよね。でもね、もしそういう大切なものだったら、買って返すことはできないよね。お母さんは、人のものを失くしてしまったときに買って返せばいいやって思って思う子になってほしくないなぁ。失くしてしまったことを、心からごめんなさいって謝れる子になってほしいな。
的なことを言われた。その後、なにも言い返せなかった。心の中で、ただ普通に怒られた方がよかったし、だって、ただの双眼鏡じゃん、そこまで言わなくてもいいじゃんと思った。その後の記憶はほとんどないけれど、その時は素直に受け止めることができなかった。
今なら、理解できる。母がどんな思いでそれを伝えたのか。自分が間違ってしまった時の謝り方、人の気持ちを考えれる想像力とやさしさを持ってほしいという母の願いも込められていたのかなと思った。その時は理解できなかった母のやさしさに、私は15年越しでふれることができた。
私たちは、日々やさしさにふれて生きている。いろんなやさしさの形があること。やさしさって、人を豊かにすること。わたしはこれからも、たくさんのやさしさにふれていくだろう。そして、わたし自身も、その優しさをたくさん大切な人たちに渡していきたい。
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