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自分に刺さる文章を見つけたときの高揚感と焦燥感

私は文章を読むのが好きだ。文章のスタイルは問わず、長さも問わない。あらゆる文章を読むのが好きである。

小さい頃から図書館と本屋さんに行くことが大好きで、だんだん本の背表紙や本のタイトルを見て自分の好みの文章があるのではないかということが分かるようにもなってきた。

最近は住んでいる場所柄、新しい文章に出会うとしたらもっぱらインターネット上だ。だから出会いはいつも唐突で、思いがけないところで好きな文章に出会ったという嬉しさを感じる。

でも、今は誰でも文章を全世界に発信できる時代である。自分の大好きな文章を書く人が、文章を書くプロなわけではないことも多い。日常のなんでもないことを上手く書いている人を見つけると、なんて素晴らしい文章だと感じる気持ちとともに、私にはこんな文章は書けないと焦燥感も湧いてくるのだ。

焦燥感が湧いてくるということは、自分もそれがしたい、そうなりたいと思うからであろう。綺麗な絵を描く人を見たときには純粋な驚きと尊敬と、良いものを見たという気持ちばかりなのに、それが文章に代わるだけで感じる気持ちが変わるのだ。

だから、自分の気持ちを受け止めたあとに一呼吸おいて観察することにした。こんなにも人を惹きつけるのは、どこの部分なのか。自分とは感性が違うのか、語彙力が違うのか?

それを続けたときに、自分にも納得のいく文章が書けるようになるのかは分からない。だが、確実に日常を過ごす上での物事の受け止め方、感じ方は変化して、さらに充実した日々を送れるようになるのではないかと思っている。

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