NHKアカデミア 穂村弘 「短歌という魔法」(前編)どこまで読者にわかってもらおうとしている?書き起こし
2024/1/10 22:00~22:30 放送のNHKアカデミア、「短歌という魔法」(全編)で歌人の穂村弘さんが読者の質問に答えるコーナーがあり、どこまで読者にわかってもらおうとしているか?というちょっぴりストレートすぎる、若干失礼(笑)な質問に対して、非常に彼らしいことば遣いで丁寧にわかりやすく説明されていて、とても心に残ったので書き起こししてみる事にしました。(録画を忘れたのです)
以下、参加者のきつねさん(🦊)
穂村弘さん(ほむほむ)とします。
(ほむほむ)北海道のきつねさん、お願いします。
(🦊)穂村さんこんばんは。
(ほむほむ)こんばんは
(🦊)穂村さん以降の歌人の口語短歌の人、一読しただけで何言ってるかわかんないなって人多くくいると思うんです。作品として世に出す時に読者にわかってもらうためにある程度工夫をすると思うんですけど、そこと自分のパーソナルモチーフを使いたいというバランスをどう捉えていますか?
(ほむほむ)随分攻めた質問が多いなぁ。非常に重要過ぎて重要過ぎる質問が。仰ることはよくわかりますね。一つは時代性があって全員が共有するパーソナル指数が上がってますよねぇ。
僕が子どもの頃にはラーメン屋にはラーメン・チャーハンみたいな感じだったのが、今はチャーシューメン、タンメン、あるとき「トッピング」という概念ができて自分なりにカスタマイズしたトッピング、みたいな話になってきてパーソナル度が上がってますよね。
全てにおいて自分にとって重要なものが、隣の誰かにとっても同じ位重要であるかどうかはわからないという風な時代に進化して、例えばふるさとが懐かしいとかね。そういうような、ある共通の感覚で昔は歌われていたものが故郷の懐かしさを何に託すかみたいなものが千差万別になっている、という。ひとつありますね。ひとりひとりの読者がパーソナルにばらけた時代、何処に向かっていけばいいのかがすごく難しいですよね、今はね。
わたしはどうしているかと言うと、自分のパーソナル性に準じるという事で、読者に合わせて伝わらないとショックが大きいので、読者にいいと思われようと思って作って、ハッ?って言われると
「しまった、それぐらいなら最初っから自分の、自分と自分の神様との間で最高と思うものをつくれば良かった」
と思ってしまいそうなので、まぁ伝わるかどうかのほうが諦める。
そうするときつねさんのように、「さっぱりわかりませんでした」と言われてしまうんですけど、まぁそれは仕方がないかなぁ。わからなくても魅力があれば読んでもらえるかも。僕も寺山修司の歌集を最初に読んだときはわからなかったけれど何か気になってずっと読んでいるうちにわかってきたから、何かふつうではないものがここにはあると思われるように書きたいかな。そんな感じかな。
(🦊)わかりました、私もそのわからなさが一個の先生の魅力だし、それをなんだろうと思ってずっと読んでいるので、それがわかって興味深かったです。ありがとうございました。
(ほむほむ)ありがとうございました。ハードな質問ばかりなんだけど(えへへ、みたいな笑い)
ほむほむはよく創作のお話をするとき、「自分の神様との間で」という表現を用いていて、わたしはそこがすごく好きです。歌壇で注目を集めるようになってからしばらく、新しすぎる彼の短歌はときとしてすごく批判されることがあった。穏やかそうに見えるけれどこの人は、どんな時も自分の神様を強い心を持ってしてずうっと信じてるんだなぁと思って。
番組ではわたしが世界で一番すきな一首、
終バスにふたりは眠る紫の〈降りますランプ〉に取り囲まれて
(歌集シンジケート収録)
この短歌についてもほむほむ自身が解説なさっていて、とても印象深い回でした。
NHKアカデミア 穂村弘「短歌という魔法」(全編)見逃し配信