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この作品は誰のものラブソング


昔、とあるミュージシャンが言っていた。
「僕らの曲は誰のものか」
対象が曲だから、今から話すものとは考えが全て一緒にはならないかもだけど。
自分の中の好きなものと思い描いていた未来が一致しなくなった時に、よく思い出す。

自分の好きな作品があったとする。
その作品はメディアミックス化もしていて、キャラソンやドラマCDに始まり、ライブもしてアニメや漫画にもなった。
そしてその作品は数多あるであろう同ジャンルの中でも大きなムーブメントを呼んで、たくさんのファンに愛され、たくさんのファンが所謂二次創作などを思い思いに描いた。
元々は企画から始まった作品だから、一人の原作者がいて、その作者が話を描いていく…というものじゃ無い。
大きな組織というか、そのチームが方針を固めて描かれていく。展開されていく。
ジャンプとかマガジンとか何かの小説とか、そういう個人から始まる商業じゃなくて、本当にイチから商業というか組織の企画から始まる(伝わる?)そんな作品。

最近、とある好きな作品に対し「ん〜?なんでそんな展開になるんだろう?」と考える事が増えた。

あ、前提として、好き嫌いというのも理解してるつもりで。
自分は所謂「努力!友情!勝利!」な熱い展開が好きだから、やっぱりピンチに打ち勝つ展開は好きだし、支える仲間にどんな背景があるのか、なんてのを考えるのも大好きだ。
だからそういう世界観や設定を散りばめてくれる作品が好きになりやすい。

でもそれを描くにもただポンポンと流れ作業みたいにするんじゃなくて、どうして努力するのか、どうして友情が芽生えたのか、どうして勝利できる力を身につけられたのか、そういう過程をきちんと描かないととても浅い話になってしまう。
それって本当に大事だと自分は思っていて、勿論キャラクターの心情によってはそこの比重は変わると思うけど、でもそれを描くから面白いよねって思う。
別に特別なことを言ってると思わないし、きっとこれを読んでくれてる貴方にも共感してもらえる気はする。してくれたら嬉しい。

ただ、いやいやもっとカジュアルにもっと気楽なのがいいいよ!重いのとか熱い展開とか嫌!って子がいるならそれはそうなんだろうし、そのは勿論好みだよね。その好き嫌いに否定する理由もない。正解なんて公式以外に無いんだし、楽しみ方はそれぞれだ。

で、話は戻るけど、その作品が多分ネットの反応とか売上とか見つつの自分の肌感ではあるんだけど、多分自分と同じ感じに思ってる人の方が多いかなって印象の時、それはつまり「ん〜?なんでそんな展開になるんだろう?」が大半を占めるようなことが続いた時なんだけど、この作品は企画から始まった商業作品なのだと思い返してみるといろんな考えが巡る。
きっとその展開の背景には、売上高やそこから生まれる経費、社外との取引とか付き合いとかを最大限考慮した展開が生まれているのかな。
それは、創作作品ではなくて、商品としての扱いとしてなのかな。
私たちはその作品を創作作品として見ていたのに、公式は商品=「商売の品物」として扱っている感じが色濃く出ていて、違和感が生まれる。
疑心に染まり過ぎると「優先したいのはファンという名の消費者であり、その媒体を動かすお金なのか!?」なんてよくある批判に変わるわけだ。

…でもまあ、別にもし仮にそうでもそれがおかしいとは言えないか。
だってそもそもそれは紛うごとなき事実なんだから。

ただ、どこかで一縷の望みに賭けて、きっと公式にも創作愛に溢れた方がいるはず!と願ってしまう。
どうかこの作品も個で始まった作品たちのように面白くなっていきますように。
どうか商業の中でも私たちと同じ愛情を向けて描いてくれる人がいてくれますように。
ここまで考えちゃうのはきっと、まだこれからの展開に期待していて、やっぱりこの作品の世界が好きだからなのかなあ。

でも残念ながら、この世には完璧は無くて、必ずしも大円団で終われるばかりの世界ではないんだよね。批判で尻すぼみな作品もあれば、投げっぱなしな作品もある。
反対に、どんな媒体でも短期間でも10年でも辛抱強く愛され続けるものもある。
自分の好きなものはどうか前者じゃありませんように、と願わずにはいられない。

ファンであり消費者である私(たち?)が描いてたのは、初めてこの作品の世界観、設定に触れ、風呂敷が広がり始めた時の「この創作作品面白そう」の延長戦だったのかもしれない。
組織、公式が全てだけれど、それが正解ではあるんだけど、私個人の中にある「この作品はもっとこんな風になれるんだ!本当に面白い世界観なんだ!」というのがどうしても捨て切れずにいるし。「なんでこんな展開なんだ!おかしいじゃん!」みたいなまるで裏切り者みたいな勝手極まりない想いも…正直抱いた日も無くはない。
展開が面白いなら、楽しくてお金は厭わないんだと思う。漫画とかってそうだよね。だから漫画もアニメも楽しむし、サブスクが普及していようがその作品のCDだってこのご時世でも買うんだ。
好きなものが「期待できる面白い作品」として走り抜けるのを望む世界なら、批判が相次ぐ(所謂「迷走」ってやつか)今は望まない世界な訳で。
でももしかしたら公式からしたら、「いやいや、別にそんな期待されても売れないといけないんで。こっちも商売なんで」とか「…え?これ絶対面白いと思って考えましたが?」とか思ってる可能性だってあるよね。
公式が正論なんだ。私が思い描いたものはファンの妄想と勝手な期待になる。性格の不一致による喧嘩別れを描いた、まるでどこかで聞いたようなラブソングの歌詞になりそう。決して裏切ったわけじゃない。

そうして、じゃあその望まない世界の展開を公式が貫くなら、今私が勝手に抱いていた「この作品はもっとこんな風になれるんだ!」の思いはもう無に帰るしかないのかもな、なんてファンの姿勢としても私個人視点からしても作品に対しても寂しいことを考えたりもするのです。

でも、少なくとも私のもとに届き、私の中で作品が大きくなっていく時の気持ちは「こんな面白い作品を作ってくれて本当にありがとう」だった。
今だってその時の気持ちは忘れたりしていない。
こんなこと思える作品ってすごいって本気で思ってるから。

冒頭のミュージシャンは、こうも語っていた。

そのセリフの文頭には、間違いなく“私の”がつくのだろう。
(中略)
そう言ったその人は手の中で、その人の「サウダージ」を握りしめているような気がした。

新藤晴一 著『自宅にて』/ソニーマガジンズ

何度も言う。
この作品は公式のもの。
でも私たちファンのもとに届いた時、公式がくれた創作作品は、面白いと思わせたら思わせるほど期待の芽は大きくなって、ファンの中で勝手に育っていく。
まるで自分のものみたいにすくすくと育って、思い描いた未来と一致しなくても、その作品を愛さずにはいられない。
でもそれは悲しいかな「勝手な期待と妄想」の域を出ない。
行き場のない心の中で育った身勝手なこの作品は、一体誰のものなんだろう。

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