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教祖様の話②

続きです。これも壁打ちだな。

結局夜道を駄弁りながらぐるぐるとまわった後、どうやらそれは時間稼ぎだったらしく、高校へ行くと教頭先生と、学校が電話して駆けつけたであろう父と祖父が待っていた。

この時、マジで父に会いたくなかったので(殺されると思ってたから)
とりあえず猛ダッシュで逃げた。
学校のすぐ横の登り坂を、全速力で駆け上がった。ローファーで。
その場にいた全員が凍りついていたが、山口先生だけがマウンテンバイクに跨り、全速力で追いかけてきた。

自慢ではないが、私は少しだけ足が速い。そして、びっくりするほど体力がない。
しばらく離していたが、登り坂に力尽き、すぐに止まってしまった。

慌てて急ブレーキを踏んだ先生は、思い切り前に転倒しそうになっていた。
「なあ……いきなり止まってはいけませんって、習わんかったか?」
言いつつ、すごすごと高校へ引き戻された。

こんな感じで。

とりあえず、職員室で教頭先生と父、祖父は話し合い。その間に、山口先生と私は相談室3(1と2はいまだに足を踏み入れたことがない)へ放り込まれた。テーブルを挟み、ちいさなソファに向かい合って座る。

教頭先生がなにやらスーパーで菓子などを買ってきてくれたらしく、山口先生に勧められたが断った。疲れすぎて、食欲が地に落ちていた。

時計は22時過ぎを指している。
ぽつぽつと2人で話した。

「人間がいちばんしてはいけないことって、何だと思いますか」
と問うと、彼は
「嘘をつくことやと思う。さっき、あなたがお腹空いてない、って言い張ったみたいにね」
と言って笑った。つられて少し笑ってしまった。

それから、彼は真剣な表情をして
「あなたのその腕ね」
と話し始めた。
「すぐには辞められへんと思う。それがしんどいことやとも思う。」
「でもね、その傷見たら、僕も痛いよ」
そう言ってくれた。へへ、と曖昧に笑ったけれど、本当は涙が出るくらい嬉しかった。

それから時は過ぎて、私は教頭先生の車で帰宅することに。どういうこと?
「電話してきた時、あなた泣いてたでしょう」と言われたのだけ何となく覚えている。

翌日からまた学校に通うことになったが、山口先生との距離はとても縮まった。たまにお昼休みに駄弁ったり、授業の質問をしたり。

今考えれば、それが地獄の始まりだったのだと思う。
冒頭にも述べたが、私はガチガチにメンヘラの、依存体質だ。病名を挙げるなら(病気ではないが)、いわゆるBPD。
今まで「辛いから自傷行為」だったのが、「振り向いてほしくて自傷行為」に変わっていった。「振り向いてくれなくて自傷行為」もあった。
当時、すでに私は手遅れのところまで来ていた。

何せ、相手は元々好きだった人なのだ。しかも、私に誰よりも理解を示してくれている。辛い時に同情するのではなく、笑ってくれる。好き、や依存を超えて、もはや教祖だった。

タイトル回収。

しばらくして、時は春休みに入る。私は当時部活にも入っていなかったので、始業式まで先生に会えないなあ、なんて考えていた。

終業式。先生に呼び出され、いつものように相談とも雑談とも取れない時間を過ごしてくれる。
もう帰ろうか、となった時、
「春休み、どこかでもう一回話そうか。」と持ちかけてくれた。いいんですか、と驚いていると
「長期休みはメンタル落ち込みやすいって前言ってたから。心配やし。」

この時の私は浮かれていた。浮かれきっていた。ここから地獄が待ち受けているとも知らずに。

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