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【美術ブックリスト】 『なぜ美術は教えることができないのか: 美術を学ぶ人のためのハンドブック』  ジェームズ・エルキンス著、 小野康男・ 田畑理恵訳

【概要】
「美術を教える」とはいったいどういうことなのかを、歴史を踏まえた上で美術教育の現場である美術大学のスタジオ(制作室、アトリエ)での活動の観察をもとに論究していく。
第1章「歴史」では古代の美術学校、中世の大学、ルネサンスのアカデミー、バロックのアカデミー、19世紀のアカデミー、バウハウスでどんな教育がなされていたかを解説。中世の工房が社会から知的に孤立していたことや、バウハウスのカリキュラムは普遍的な指導のようでありながら実はその根拠は不合理であることが示される。
第2章「会話」では、現代の美術学校で、学生同士や学生と教師とのあいだでどのような会話がかわされているか例示する。慣習として美大では巨匠や傑作について教えているが、ほとんどの美術は平凡なので役に立たないこと、現代の美術は現代の社会を表現していないなど現況に対する悲観的な診断がくだされる。
第3章「理論」では、美術は教えられるのか教えられないのかについての考えられるさまざまな理屈を列挙して、ひとつひとつに検討を加える。その結論は「美術を教えるという考えは修復しがたいほどに不合理である」「美術を教える企ては混乱している」「美術の教え方において根本的なカリキュラムの変更を提案することには意味がない。(なぜなら美術に関する私たちの考え方は合理でないので、非合理なものを合理化しようとすることで矯正することはできないから)」である。
第4章「批評」では、現在の美術批評もまた、混乱し、不合理であることが語られ、美大での実際の講評が例示される。
第5章「提案」は、批評を改善するための著者による提案。質問の仕方、記録、意味の探究が提起される。
第6章「結論」は、「いかにして美術が教えられるのか、それを理解しようとしても意味をなさない」という、予想はされたが衝撃の結論で終わる。

【感想】
まず説明がまどろっこしくてくどい。もっと簡潔に書けないものかと思う。
とはいえ、美術教育の歴史を遡って、各時代の画家志望者がなにを学んでいたか、またそれが現代までどう影響しているかはよく分かった。

「美術が社会に関連しているという確信、芸術家のつくるものは私たちの時代と文化を表出しているという確信」は誤っていて、それは一般の人が教育を受けていないからではなく、美術家たちが教育を受けていないからという洞察(132ページ)には同感。中世の芸術家が当時の知的生活から切り離されていたのと同様である。

アメリカの一般大学、たとえばセント・ジョーンズ・カレッジでは1年次にホメロス、アイスキュロス、ソポクレス、トゥキディデス、エウリピデス、ヘロドトス、アリストパネス、プラトン、アリストテレス、ユークリッド、ルクレティウス、プルタルコス、二コマコス、アルキメデス、パスカルなどの著作が全体もしくは部分を読むように推奨されていて、この調子で3年続く。1990年スタンフォード大学では中国、日本、アフリカ、南米の文学、ポスト構造主義、女性同性愛、ポルノ文化を学ぶことができたという。こうしたリベラルアーツは、美大では全くあるいはほとんど教えられていない。それによってそこから巣立った芸術家は才能ある労働者でも社会に不可欠な一員でもなくなっている、という観察は当たっていると思う。

さて現代の日本では「アート思考」「教養としての美術」「アートでビジネスを乗り越える」など、美術が有益な裏ワザか曲芸かのように論じる風潮があるけども、これも同じ事態の裏返しだろう。芸術家は世間一般の常識とは異なる思考方法をもっていて、それはビジネスや社会や個人の閉塞状況を脱する起爆剤になるというのは芸術への盲目的な期待であって、実社会のどんな場面で有効であるかを教えてはくれない。実際、美術作品はフィクションを造形することはあっても、現実社会を映し出す、あるいは暗示することは現代では稀である。「平和」や「博愛」といった当たり前の概念を、形を変えて表現するけども、現代に特有の状況を映すわけではない。

この著者の悲観的な結論とは異なり、私は美術教育に必要なのは歴史教育と人文的な教養だと思う。それが作品のテーマと表現方法を規定するからだ。それについてはまた別のところで論じたい。感想が長くなってしまった。

‎ 三元社刊 444ページ 四六判 4000円+税

序論  9

第1章 歴史  15
  古代の美術学校  16
  中世の大学  17
  ルネサンスのアカデミー  22
  初期の美術アカデミー  23
  カラッチ一族のアカデミー  33
  バロックのアカデミー  36
  十九世紀のアカデミー  58
  現代のアカデミーとバウハウス  65
  バウハウスを超えて、美術学校  78

第2章 会話  83
  現代の美術指導はアカデミックなのか  87
  さまざまな視覚芸術の間にいかなる関係があるのか  93
  コア・カリキュラムの問題  113
  美術はそれが制作された社会を反映しているのだろうか  126
  平凡な美術を教え学ぶこと  137
  スタジオにおける美術の授業では学べないこと  146
  装飾の問題  167
  人体モデルに何が起こっているのか  174

第3章 理論  181
  教えるとは何だろうか  184
  美術を教えることはできるのだろうか  190
  美術を教えることができないとすれば、何を教えることができるのか  204
  純粋芸術と単なる技術に関する補説  209
  もう一つの補説、美術教育について  211
  主題に戻る:本書における最初の三つの主張  214
  懐疑論と悲観論  219

第4章 批評  223
  一、美術批評とは何か誰も分かっていない  226
  二、批評は短すぎる  239
  三、次々と話題が漂流する批評  246
  四、学生の作品とはかかわりなく、教師も自分の作品を制作する  255
  五、教師はそれぞれ独自の発言をする  257
  六、批評は誘惑のように、感情を思い切り爆発させる  264
  七、下手な翻訳もそうだが、批評は多くのものに似ている  283
  八、教師は技術的なアドバイスをすることで時間を無駄にしている  298
  九、判定的な批評をする教師もいれば、記述的な批評をする教師もいる  306
  十、学生が目の前にいることが混乱を招く  321
  十一、美術作品はたいてい独創性を欠いている  327

第5章 提案  337
  批評を改善するために  338
  質問の連鎖  343
  批評を書き起こすこと  358
  意味を探求すること  364
  批評を比較すること  375

結論  381

  訳者あとがきと解説  387
  索引  001
  註  011

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