『スカーレット』に見る男権主義

八郎さん
きみこには自分以上の才能があると周りにも話すほど認めている

きみこのお母さん
保守的な夫の存在にも関わらず娘を応援

きみこ
幼なじみ新作の前で泣いてしまう→八郎さんの前では泣けない=八郎さんにとって脅威となる強い存在

八郎は弟子で自分に好意を持つみつにも「きみこといるとしんどい」と漏らす。きみこの才能を認めながらも、内心、きみこに負けていると感じており、「しんどい」と言うことで、自らの問題として受け入れるのではなく相手(きみこ)に責任を転嫁しているようにも見える。

もし性別が逆転していたらきみこは全力で応援されていただろう。八郎さんの態度は確かに客観的で理にかなっているが、そんな状況でも、結局は社会状況や旧態依然とした考え方、権威に屈服していると言える。

そこへ、穴窯への挑戦を誓うきみこの決意を打ち砕くようにお金の話をする八郎さんに対して

きみこ
「なんでわからへんの。八さんも陶芸家やろ。なんでわからへんの!」

この言葉は核心を突いている。芸術家というのは反体制的な生き物であることを常に求められている。
芸術を「枠にはまらない主観的な想像力の産物」と定義するならば、それは自然と現行の体制に反するものとなるだろう。その意味で、常にそうした体制、権威、常識に捉われることなく創作を作り続けることで芸術家でいられることができる、とも言える。

ここに見える八さんの態度はまさに体制側の見方であり、精神的にはきみこが言うように陶芸家(芸術家)ではなくなってしまっている、と言える。本当なら、自分がその芸術的センスを認めている人間の背中を何がなんでも押すことで、彼は芸術家(陶芸家)たれるのであった。

そんな男権社会の影を見た、今週の『スカーレット』であった。

あなたと私と私の周りにいてくれる人たちにとって小さくても何か有意義なものを紡ぐきっかけになれば嬉しいです。