[働き方]人生常々逆算思考
「仕事は仕事、それ以上でもそれ以下でもない」
私の仕事に対する価値観です。
ここで言う私にとっての「仕事」とは、
①人間として生きるための義務
②お金を得る手段
であって、仕事とプライベートは本来一切交わることの無いものなのです。
22歳、新社会人
会社員となって早2ヶ月が経とうとしています。
会社の飲み会ってどうやって断るの?
生粋のINTJである私は、飲み会🍻🍶という言葉すら見たくないほど大勢でのどんちゃん騒ぎをする場が苦手です。いや、大嫌いです。
何度でも言いますが生粋のINTJ、通常ならズバッと自分の意見を言います。それがどんなに偉い人でも。
しかしまたもやINTJな私、同調圧力に負けます。
「飲み会の断り方が分からない」
そんなくだらない悩みで胃をキリキリさせる程です。
そもそもなんでそんなにも飲み会が嫌いなの?
そう聞かれることが多いので、頭の中でディスカッションをしました。
そうしていくうちに、3つの理由を見つけたんです。
①他人に興味が無い
これです。
会社の人間に、心底、興味が無いんです。
なぜって?会社は仕事をする場だから。
INTJなので探究心強め、分析欲強めな自負はあります。
けれどそれって、自分へのメリットがあるもの、もしくは自分が熱狂的にハマったものに対してのみ発動されるんです。
興味が無い上司の武勇伝を聞いてニコニコする時間?
文字にするだけで寒気がします。
②雑談が出来ない
先程の興味の話と少し近しいですが、多くのINTJは雑談(生産性も目的もないトーク)を苦手としています。
結局何が言いたいの?
何を伝えたかったの?
頭の中がこの疑問で埋め尽くされてしまい窒息しそうになります。
「この世に意味の無いことはないんだ」
昔の偉い人はそう言いますが、雑談だけは意味が無いと思っています。(雑談が好きな人を否定したい訳では無く、寧ろ憧れています)
飲み会って、雑談をする場でしょ?
そういうことです。
※勘違いして欲しくない点がひとつだけ。
人生観や仕事観について熱く語り合うことが目的の飲み会があるなら寧ろ好きです。
誘ってください。
③酔っ払っている人を見ると絶望する
これが最大の問題なのです。
酒に飲まれて、自我を失っている人を見ると寒気がします。
「滑稽だ」
そう思ってしまうので、もちろん自分は酔わない(飲まない)ように細心の注意を払います。
極端だなあと、そう思いますよね?
私もそう思います。
けれどこんな捻くれてしまったのには過去のトラウマ的な背景があるんです。
私にはこの宇宙で1番と言っても過言では無いほど嫌いな人間が居ます。
叔父です。
※少し暗い話になります
小学生の頃、酔っ払った叔父から何度かセクハラをされた事がありました。
その事を両親、叔母に伝えても
「あの時は皆酔ってたからね」
「私達も記憶無いんだよね」
いつもこんな台詞しか聞こえてきませんでした。
その後、その一家とは関わりを断つことに繋がるのですが長くなってしまうのでその話はまたいつか。
こういった過去の記憶が未だにトラウマなのか、酔っ払った人を見ると気持ち悪くなります。
これが私が飲み会が嫌いな理由なのです。
そんな私がどうやって飲み会を断っているか。
忙しくなる
単純で簡単で安直でシンプルな、これです。
「平日は犬の散歩があって〜」
「夜は資格の勉強をしたくて〜」
「毎週○曜と○曜は習い事があって〜」
「休日は恋人との時間に充てたくて〜」
これを入社して1週間で上司の頭の中に刷り込みました。
要は、自分をどうブランディングするか。
そしてこれは"ブランディング"なので
習い事なんてしてませんし、現在恋人は居ません。嘘です。
そして、実は私、断っていないんです。
どうやって断るか、なんて書いてしまったけれど
断ることのないように、誘われない人間に
なれるようブランディングしているのです。
他人と関わりを持ちたくないINTJな私は、どのコミュニティであってもまず最初にこの作業を行います。
そうすることでストレスの4割は無くなったんじゃないかな。
やりたくない事から逆算し
それをやらなくてもいい人間になる
今回"飲み会"を例に出して伝えたかったテーマです。
人間誰しもやりたくない事は山ほどある。
私はやりたくない事はやらなくて良いと思っています。
だって自分の人生だから。
ただこの社会、風潮がそれを許してくれない
やらなきゃ〜されてしまう
そういった思考が邪魔をする。
なら、やりたくない事をやらなくて良い人間になればいいんです。
働きたくないなら働かなくて良い人間はどんな人間かを考え、そうなれば良い。
その過程で働かなきゃいけないかもしれない、けれど以前とはモチベーションが少しばかり違うと思いませんか?
私は常にこの逆算的な考えで生きています。
こんな合理的でドライな考え方を紹介してみました。
「仕事は仕事、それ以上でもそれ以下でもない」
冒頭でこうお伝えしましたが、少し訂正させていただきます。
仕事は、いずれ仕事をしない人間になるための手段の1つです。
私は今日も働かないために働きます。