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その日が来た。

午前2時40分、僕は念願の「お父さん」になった。妻といっしょに分娩室に入ってから、わずか25分後のこと。自宅で陣痛らしき痛みが来てからというもの、あまりにも展開が早く、目の前で起きている事態をうまく飲み込めないまま、我が娘〈まー〉は生まれてきた。

立ち会い出産だったにもかかわらず、すべてが終わってから病院に駆けつけたような気分。初産なので「あー、ここから10時間コースなのかなあ」と苦しむ妻に付き添いながらやきもきしていたところ、気がつけばもうそこに〈まー〉は存在していたのである。

ほぼ同時期に出産された大島美幸さん・鈴木おさむさんご夫妻。息子さんの笑福(えふ)くんが大島さんの体から出て来る瞬間を見て鈴木さんが「奇跡」と記していらっしゃいましたが、僕にはとてもそんな余裕なし。

オロオロするわけでもなく、感動で大泣きするようなこともなく・・・こう書くと僕が娘の誕生にまるで関心のない風に読み取れるかもですが、そういうわけではありません(多分)。どういうわけかこの時の僕は何も考えることが出来なくなっており、きわめて冷静に、まるで他人事のように分娩の進行をただただiPhoneに記録するマシーンと化していた。

 

 00:23 ついに、陣痛タクシー

 00:49 深夜病院着

 01:05 NST

 01:43 入院決定

 01:47 おしるし来た

    02:15 分娩室へ

 02:29 破水しそう/10何時間もかからない/もうすぐな感じ

 02:30 8センチ

当日の書き込みを見返すと、短い言葉ばかりだけどおおよその経過がわかる。最後の記述から10分後に娩出となるのだけど、この間妻は激痛に耐え、言葉ともつなかい絶叫がずーっと続いていた(怖かっただろうな)。取る物も取りあえず分娩室に入ったので、途中一度だけ退室して用意していた飲み物(結局つかいませんでした)をあてがわれた病室まで取りにいったら、廊下には分娩室の二重扉の奥からの叫び声がこだましていた程。この期に及んでiPhoneをいじるのはさすがにマズいかと思い、手を握り励ますことに集中しようとした。ただしボイスメモをつかって室内の模様を録音しながら、というぬかりの無さ。〈まー〉が大きくなったら聴かせてやろう。

もっとも励ましていると思っていたのは僕だけで、あとで妻に聞くと「あなたは励ましてくれなかったので、助産師さんの手を握っていた」と記憶が大きく異なっている。真偽はどうあれ記録に徹し過ぎてぼくはあまり彼女の役に立っていなかったらしい(たしかに録音メモを聞き返すと僕は「えーっ!えーっ!」としか言っていない。悲しいかな冒頭に書いたこととピタリ符合orz)。

なぜこれほどまでに記録することに執念を燃やしていたか、それは僕が何よりも「お父さん」になりたかったからだと思う。

僕の実の両親は、僕が4歳の時に離婚している。2年後に母が再婚したため、僕には二人の父親がいることになるのだけど、どちらの「お父さん」にも甘えることができなかった。実の父には8歳を最後に会うことができず、育ての父にはなんだか気を遣ってしまい、存分に父親との時間を過ごした記憶がない。でも本当は甘えたかった。いっしょに遊び、いろんなことを学びたかった。その反動がぼくの将来の夢を「お父さん」にさせたのだろう(将来の夢がお母さんという女の子は多いけど、なぜかその逆って聞いたことないですよね)。

そんな僕が一生に一度あるかないかというイベントに、幸運にも立ち会うことが出来た「奇跡」。そんな奇跡の瞬間をずっと忘れたくなかった。僕が記録マシーンと化したことに理由をつけるとすればそういうことになる。でも記録よりもっと感動することに集中して、もっともっと記憶にとどめておくべきだったと思ったりもする。

閑話休題、そんなわけで〈まー〉は破水からわずか15分で産声をあげた(これ「わずか」と書くと妻に失礼なのか)。お母さんの苦しみを手短に済ませてくれた親孝行な娘である(「手短」もダメですか)。本当はカンガルーケアとかしたかったらしいのだけど、すぐに産湯につけられてしまった。予め伝えておけばよかったと少し後悔する。僕はというとホッと一息、と思いきや妻はここから続いた後産処置の方がむしろ痛かったらしい。胎盤の摘出とか切れてしまった会陰の縫合とかそういうアレです。帝王切開で出産したお母さんは術後の傷がとても痛いというのはよく聞く話だけど(叔母がそうだった)、自然分娩だったにもかかわらず妻は1か月ほどこの傷痕を痛がっていた。

処置中も僕は生まれたばかりの我が子に夢中になっていた。この時の配置は中央の分娩台の妻を挟んで右手側に僕、左手側にすやすやと眠る〈まー〉。妻の頭側には心電図などの計器類が、足側には今まさに処置中の先生が邪魔をして〈まー〉の側に行くことができない。仕方なく、痛がっている妻越しに〈まー〉の新生児コット(なんか保育器みたいなやつ)を撮りまくっていた。分娩の痛みに比べたら大した痛みではないだろうなどという考えこそなかったけど、産んだ後も実はまだ痛いという想像力が働かなかったため、未だに妻には恨まれている。ごめんなさい。

処置が終わって過ごす初めての3人の時間。何を話したのかはもう覚えていない。でもとても幸せな時間だった。母体を守るため出産後2時間しか立ち合い者はいられない決まりだったけど、始発まで居させてもらえた。

病院から二子玉川駅へ向かう下り坂を歩きながら見た明けの空を一生忘れることはないだろう。僕はお父さんになった。嬉しさと誇らしさで笑みが止まらなかった。



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