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僕が一人で出かけるとき、妻と玄関まで見送りに来てくれた〈まー〉は泣く。妻が一人で出かけるとき、僕と見送る〈まー〉は笑ってバイバイをする。  

多くの家庭とは逆の光景がうちにはあって、妻は少し拗ねているが、僕にはそれがちょっとした自慢だったりする。4月に一歳を迎えた娘〈まー〉は、一緒に過ごした時間の長さから僕の方により懐いている。でもその自慢は自慢することのできない自慢で、これまで誰にも自慢したことがない。アルバイトをしながら主夫で育児をやってますとは、親兄弟や友人たちに自信を持って言えない自分がいるからだ。要は無職でしょ、と言われてしまうのが怖いのである。

でも、本音では自慢したかった。

妊娠が判ってからこれまでの2年間は本当に楽しくて、ほとんどの男性が経験できない「瞬間のすべて」に立ち会うことができた。妊娠を告げられた病院での驚き、月一回の超音波検査の画面でみる我が子の成長、深夜に病院へ駆け込んだ出産の日。初めての寝返り、初めて立ち上がった日、初めて歩いた日。妻との思い出話は尽きることがない。「お前ら子どもの相手こんなに上手くできひんやろう」と自慢したくなるのだけど、「そんなことより先に仕事せーや」と返されるのがオチである。僕の小さな自慢はもっとも大きなコンプレックスと表裏一体なのだ。

果たしてあの無職の時、主夫生活を選んだことは正解だったのか。自慢とコンプレックスとの葛藤はずっとついて回っている。自分の選択に後悔はないけれど、この答えを出す資格は僕にはない。それは将来、妻と〈まー〉が判断することである。言うなれば将来の安定と自分の希望(それと少しの目先の安心)を秤にかけ、大多数とは異なる選択をしたのである。答えはまだ出しようがないのだ。ただ二つ、今の時点で確かなことは「初産の不安も産後うつも一度も感じなかった」という妻の言葉と〈まー〉が僕ら二人に向けてくれる力一杯の笑顔である。このことを僕は誇ってもいいはずだ。

「勝手に育休取得中」と銘打ってはいるものの、僕の主夫生活は無職だったからこそ出来たことであり、厳密には育児休業ではない。実際に企業や組織に所属している人が産休や育休を取得しようと思えば、申請そのものの難しさや復職時のキャリア連続性の問題など様々な困難があるだろう。そんな中で僕が少し特異な経験から役に立てることがあるとすれば、「二人で妊娠・出産・育児をシェアするとこんないいことがあったよ」というのを少しでも多くの人に知ってもらうことしかない。それが仕事よりも大切なことであったと僕は信じているけど、みなさんにとってはどうでしょうか。

せめてつわりや産前産後の大変な時期くらいは、二人揃って子どものために過ごすことが当たり前になる社会を目指して。

前置きが長くなりましたが、それでは回想を始めてみます。

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