「みんなに伝えたいこと」って誰にも伝わらないよね。

文章が書けないことについて、先日徒然と書いた。
モヤモヤは、その後もずっと残っていた。
結局言いたいことの1割も、伝えられてない。
紙切れくらいペラッペラな内容だ、と読み直してがっかりした。

岸田奈美さんの文章が好きだ。

ユーモアと愛に溢れ、
まるでラジオのように、隣で笑いながら語りかけるように、
ふっと心を軽くしてくれる言葉で日々を紡いでくれる。

そんな彼女が自らのnote記事作成現場をライブ配信してくれるという。
なんてこったい。これは見ないと。
奈美の全てをこの目と耳で焼き付けようという高揚感を抱き、
ワイヤレスイヤホンを装着。
お部屋で一人、体育座り。iphone8と睨めっこ。
ただそんな時に限って、藤井家の食卓が始まろうとしている。
くっ…!どうする…!ただ…


腹が、減った。(ポン ポン ポン)


飯を食おう。心の五郎さんが虚無ってる。

しかも、愛しのiphone8には画面収録機能がある。
これを使えば動画を後から見返せるぜ…ぐへへ

晩ご飯は、美味しかった。
メニューを書こうと思ったが、忘れた。
母さん、ごめん。

塹壕に飛び込むように部屋へ入り、shut out.
よかった、まだ続いてた。
ひたすらに動画を見る。

彼女の書き方は、思っていたよりシンプルだった。
まあスタンダードな書き方とか知らんから、あれやけど。

ライブ配信が終わった。
さあ、画面収録した部分を見返そう。
まずは収録を止めないと。

ボタンを押す。
収録が始まった。
おおおっと?
終わった。終了だ。計画終了だ。the end。エンドロールばーん。


どれでまぜんでしだああああああああ!(撮れてませんでした。)

まあ、こういうのはやったらあかんってことやね。ごめんなさい。

けど、ライブ配信を見ていて気づいたことがある。

僕が追い求めていた「完璧」は、結構どうでもよかったってこと。
論理の一貫性。
僕は齟齬と思われそうな部分を徹底的に校正していた。
僕が思う「完璧」を追い求めると、完璧な論文に行き着く。
ただ、僕が書きたいのは奈美さんのような文章だ。
思いに満ちた言葉である。

霧が晴れてきた。

論文は誰が見ても妥当だと分かることが必要だ。
僕は文章に完璧な妥当性を求めていたんだ。
そうか、僕は文章を読むすべての人を納得させようと文章を書いていたのか。

全員に届けたいメッセージは、誰にも伝わらず消えていく。

全員に共通するフィールドを探して書くと、どうしても上辺だけの文章になる。これは嫌というほど感じてきた。
何かを選ぶことは、何かを捨てること。
ええこと言うやん、誰かさん。

それぞれが多様な背景を持ち、色を抱えている。
「みんなへの言葉」は誰の胸に刺さることもなく、中途半端に沈んでいく。

だから僕は「みんなへの言葉」はもう綴らないことにしよう。
「誰かへの言葉」を綴っていこう。
その誰かは、ふと立ち寄ってくれたあなたかもしれない。
僕かもしれない。

知らんけど。






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