正論とは何か

今日、人間関係で落ち込んでいる友人がいて話を聞いてあげますと「正論ってつらいものなんだなと思った。」といってくれました。

もともと昨日の夜にその話を聞いていました。当然友人からの一方的な意見しか聞けませんので、できるだけ客観的に聞こう、そして友人は自分がつらいと思って話しているのですから決して否定せず、ときより相槌を打ちながら聞いていました。ひとしきり話が終わった後にこのあと心配してくれる人に説明しに行くのといい、その日の夜は終わったのでした。

さて、そのあと何があったのか知りませんが、「正論がつらいもの」という言葉を受けた私は、ああそうだろなと思ってしまったのでした。友人の話を聞く限り悪いのは向こうのような気がいたしました。だからこそ不安でした。たぶんその話をしに行った方々には「社会に出れば相手方の方が正しい、あるいは君にも落ち度があるじゃないか」といわれたのでしょう。私が聞く限りでは友人の意見は正論なのではあります。しかし、感情も多く含まれていました。だからこそちゃんと受け入れる聞き方をしたのでした。

人は正論を並べられるとつらいものがあります。その意見を当然理解できるからです。でも、気持ちがそうでないのだから聞いてほしいのであります。そんななか、正論の中にあるほんの少しのほころびが私のよりどころであったのに、そのわずかなほころびすら、見えなくなるほどの論理を積み立てられるとどこにもありつけなくなります。最初は相手に理解してほしかったり共感してほしかったことが、どっちが正しいや説教になったり変化してしまうことがおうおうとしてあります。

正論を振りかざすのはとっても簡単なことです、自分が正しいと思っていることを積み重ね、相手の間違いを指摘し、社会的にそれが自然であろうと理由付け知れば、あら不思議!!正論の完成であるからです。それを踏まえたうえで私たちは正論をどう使うべきでありましょうか?相手の逃げ道を与えることはとっても大事なことです。自分の意見が相手より正しいと思ったとしても、相手の意見をよく聞けば共感できる点があればトーンを下げるべきです。

人に話すことは伝えたいからではありませんか?だとしたら、相手が嫌がる伝え方は好ましくありません。当たり前です。どんなに正論を並べても伝わらないからです。正論を正論として使いたいならまず相手の気持ちを整えることから始めましょう。相手の理論や心を解きほぐし、正論が入り込むように伝え方を工夫しないといけません。


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