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コンパートメントとフランス人形

30年近く昔の旅の記憶(続き)

ベルフォート(ベルフォール:Belfort)の駅からパリまで,時間はかかるが乗っておけば最後には到着する,つまり,乗り過ごすことがないことから来る安心感は誰しも経験があると思う.日本では馴染みのないために当初はぎこちなかったコンパートメントでの過ごし方も幾分慣れてきた.

このコンパートメントという空間は仲々興味深かった.映画などでしか見たことがなかったから,話には聞いていたものの,はじめて体験するときはどこにどう座るべきかすら途方に暮れたものだ.向かい合わせで6人がけのその室内にまったくの他人が一時的とはいえ共に過ごすという緊張感.すでに数名のグループが占拠しているコンパートメントには流石に入りにくく,かといってガラ空きの室内をアジア人が我が物顔で占拠するのも気が引けた.そんなわけで,初老のおじさんやおばさんの居る,ドアの開け放してある部屋を選んでは,声をかけて,どうぞ,と言われると腰をかけていた.ハロー,とか,どこから来たのか,どこへ行くのか,その程度の挨拶を交わすと,それぞれが自分の考え事に戻る.こちらの言語能力も覚束ないからこちらから積極的に話しかけるということにも気後れし,無言で車窓を見る時間が続く.しかし,それは別にお互いにとって不快ではなかった.むしろ,存在を感じながらもそれぞれが別のことを考えながら共に小さな部屋にいるという客観的な面白さを意識するようになった.そんなわけで,流石に旅も終わりに近づくと,コンパートメントでの振る舞いも取り立てて迷うことはなかった.

ただ,パリ行きの列車は割と混んでおり,都合の良い空席を見つけるのは少し難しかった.ようやく,おそらく二組の家族が使っているコンパートメントに入れてもらって,会釈程度の挨拶をして,空いていた窓際の席に座った.並びの列にお爺さん,向かいの席に,お母さんと小学生くらいの女の子.女の子は見慣れないアジア人の僕を見てちょっとおそらく僕について何か母親に尋ねたのだと思う.母親は落ち着いた口調で女の子を諭すように何かを言い,チラリと僕を見て何かを気にしたように僅かに苦笑した.きっと何か気まずかったのだと思うが,こちらは当時フランス語を理解できないのでなんとも思わなかった.ちょっと申し訳なくなりながら,他に移る席を探すのも面倒で,ぼくも肩を窄めて反応した.そんな感じで4人でしばらく共に時間を過ごした.その間,母親と子供は楽しそうに喋り続け,お爺さんはほとんど眠っていた.僕は,リュックからペンとノートを取り出して,ここ数日の出来事を回想して書き止めていた.

どれくらい経っただろう,僕も居眠りをしていたのだと思う.目を覚ますと,お母さんと女の子が身支度をしていた.時計を見ると,パリまではまだしばらくあるから,途中下車をするんだろう.女の子が,僕に近寄ってきて,なにか握りしめている小さな手を差し出してきた.僕は少し戸惑い,母親の様子をチラッと見ながら,自分の手を差し出してみた.”Voila” といって,女の子が戸を開くと,キャンディーが僕の掌に落ちてきた.”Merci”と僕が笑うと,女の子は母親の顔を見て笑った.そうして,”Au revoir”と言い残して,二人はコンパートメントを出て行った.車内アナウンスが到着駅の名前を呼んでいる.僕は,軽く手を振って女の子を見送った.白いブラウスと,ライトブルーのスカート.ブロンドに近い明るいブラウンのお下げ.いやいや,15年くらいして会いたかったよな,なんて思いながら,僕は再び動き出した車両から長閑な風景を眺めていた.

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