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Louis Kahn 120 / ルイス・カーン120年

何か面白いレクチャーがないかなと探していて,友達から紹介されたオンラインレクチャーの情報を集めたサイトをブラウズしていると,ちょうどいま開催されているロンドン・フェスティバル・オブ・アーキテクチャーに合わせて,ルイス・カーンの生誕120年を記念したトークがあることを知り,夜中に眠い目をこすりながら参加した.

まず,カーンの生誕120年なんだ,とあらためて知ったわけで,そのために企画されている研究やイベントのあれこれが KAHN120 として運営されているようだ.主催しているのは,カーンが生まれたエストニアにある Louis Kahn Estonia Foundation.

カーンはエストニアで生まれ,その後家族と共に5歳でアメリカに移住しており,その作品はアメリカだけでなくインドやバングラディシュなどにも点在する.また,キャリアの初め(1928年4月から1年間)にはヨーロッパの建築をめぐる旅に出ている.そこで生まれ故郷のエストニアにも立ち寄っているのだ.

今回のレクチャーは,エストニアのカーン財団が主催という事もあり,エストニアやヨーロッパの建築がカーンに与えた影響について考察されてきたことの発表がその趣旨であった.それぞれのパネラーが自分のプレゼンテーションをしていくなかで,幾つかの興味深い指摘があった.

カーンの故郷にある古い城の空間性が,非常にカーンの作品の空間の質に類似していること.カーンはデザインする際に幾何学に強い拘りを持っていたが,そのあたりへの影響もあるだろうという事.また,初期ゴシックの影響があったその城や周囲の現地の建築との視覚上の類似性も指摘された.

また,カーンがヨーロッパでいかに北欧の建築と建築家の間に親密さを感じていたか,それから,国際建築会議で意見を交わしたアリソン&ピーター・スミッソンなどとの邂逅,それからカーンとブルータリズムがお互いに影響を与え合ったであろうことなどが3人のパネリストにより発表された.中でも,カーンの建築がどれも寡黙で超越的な魅力を持つ側面が写真に収められているが,その裏側では実にヒューマンな空間を隠し持っているかについて話し,ブルータリズムにも共通するが,一見即物的な建築のようで実はヒューマニティについていかに熟考されていたか,という指摘は非常に印象に残った.

ディスカッションでは,カーンの建築が現代の若い建築家やこれからの建築に与える影響について議論された.そこでは,カーンの建築はその言説と合わせて非常に神秘的で魅力があるが,その外見だけをみて真似してはいけない.カーンが常に意識していたのは,もののはじまり,ビギニングス,であり,どう作るか(how),よりも常に,なにか(what),を問う姿勢が大切である.本質を見つけること.そしてヒューマニティについて考えること,というメッセージが投げかけられた.

また,アメリカのフォートワースにある,キンベル美術館のカーンのコンクリートと,その新館を設計したレンゾ・ピアノ(ピアノはカーンの元で働いた経験がある)のコンクリートの差をみると面白い.ピアノのコンクリートはとても滑らか.だが,カーンのはあちこちに傷がある.カーンが子供の頃に彼がおった火傷の傷と関連付け,その傷を受け入れることがその建築の存在に必要なことであり,その寛容さが彼の建築の大きな魅力でもある,という話が印象に残った.

どのエピソードも非常に興味深く,またカーンの作品を見に旅に出たくなった.アメリカにも再び訪れたいし,やはり,ダッカの空間も体験したいと思う.幸いにも,映像であればそれを見ることが出来る.カーンの息子,ナサニエル・カーンが録った映画,My Architect (ルイス・カーンを探して)に登場する.現地の人々が,いかに彼の建てた建築を愛しているか,また,彼の元で働いたバングラディシュの建築家 Shamsul Wares との会話のシーンはいつ見ても涙腺が緩む...

10月にはカーンとエストニアについての新しい映像作品も発表されるようだ.ティザーが公開されている.

さて,つまりカーン生誕120年で,これからも彼とその建築について新しく知れることがたくさんあるに違いない.それはとても楽しみなのである.


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