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【おすすめ本】原田マハ「アノニム」:痛快エンタメ小説を読みたい方に

アートとは何か。
それを希求する者は今も昔も多い。美術に僅かながら触れた者は、この限りなく根源的な問いを一度も考えないことはほぼないと言っていいだろう。古くよりラスコー洞窟の壁画から始まり、ルネサンス、写実主義、印象派、ジャポニズム、キュビズムなどの多くの変遷を得て、絵画や彫刻の歴史は続いてきた。そしてそれは今もそうだ。
アノニムで取り上げるのはその歴史を覆すかのような作品を多く生み出した20世紀後半の現代アートだ。アンディ・ウォーホル、デュシャン、そして今回のメインを張るジャクソン・ポロック。これらの画家が活躍する20世紀のアートについて詳しくなくともこの作品はとても面白い。なぜなら、中心となる一人の少年もそれについてよく知らないからだ。

舞台は香港。難読症を患う一人の少年は自分を天才だと信じて疑わない。その衝動のまま、彼は1枚の絵を生み出す。その同時期、クラスは香港の学生運動のことで持ちきりだった。建設中の美術館での校外学習をすっぽかして抗議活動に参加する者も多い中、クラスのマドンナと校外学習に参加した少年。その後、彼は更に大きなうねりの中に巻き込まれていく。「本物のポロックを見たくはないか?」という誘い文句とともに。

アノニムは主にこの少年ととある組織のメンバーたちの視点で進んでいく。学生運動が続く中で開催されるのがアジア圏では最大規模とも言える現代アート作品のオークションイベント。目玉は存在するかも不明だったジャクソン·ポロックの幻の作品「ナンバー・ゼロ」。

メインで取り上げるジャクソンポロックについて少し補足する。彼の作品はアクション·ペインティングと呼ばれる技法で描かれる。椅子に座り、イーゼルに立て掛けたキャンバスに描く………という従来のやりかたとはかけ離れ、床に敷いた紙にペンキと刷毛を持ち、歩きながら刷毛を振る、回る、時にはペンキを直接ぶちまけるなど、自分の行動の赴くままにその軌跡を描く。そうしてできた作品はまるで落書きのように無秩序で、何かを形作るわけでもなくただそこにペンキの跡が存在する。このような作品に対して懐疑的な人もいるだろう、これは一体何なのか、なぜこのようなものが評価されるのかと。

それを考えるヒントも物語に存在する。ポロックの作品がなぜアートとして昇華したのか、なぜ評価されるのかというのはその時代の美術史を紐解く中で少しずつ明らかになっていく。

そして今回は幻の未発表作品が見つかる。競売にかけられるまでの中で我が物にせんと動く謎の勢力。そして「アノニム」という組織、それぞれの思惑が明らかになっていく。

ついに静かにぶつかりあうオークションのシーンは、オークショニアが人々を煽り立て、火花を散らすバトルシーンのような高揚感が我々を取り巻く。果たしてナンバー·ゼロはいくらになったのか………それはご自身の目で確かめていただきたい。

物語はこれだけではない。作品や美術を通し、主要人物の過去、更にアートとの向き合い方が描かれる。そして香港でしか起こせないようなエンターテインメントともとれる世界のうねり、そして主人公の少年自身の人生をも変える出来事へと突入していく様はまさにアートが与えるインパクトを体現し、アートは世界を変えるのかという問に一つの答えを投げかける。我々が見たいエンターテインメント小説がアートと組合わさりやってきたのだ、と私は興奮せずにいられない。

アクション映画のような緊迫感をオークションの中で味わい、その裏で進行する作戦、それを支えるガジェット、癖のある登場人物たち。その要素一つ一つが私の心をくすぐる。
派手なアクションだけが人を揺さぶるわけじゃないことを教えてくれるのだ。読了後は確かにこの作品の虜になるであろう。

著者である原田マハ氏はアートを取り上げた小説をこの他にも多く書いている。さらに毛色が違うが日本初のファースト·ジェントルマンを描く「総理の夫」などもおすすめだ。

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