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つるりつるりとうわべをすべり

よく覚えていないと白を切ったはいいものの、うすうす思い出してきたと迷走し始め、軽率にサインしてしまったかも、と大人らしからぬ発言を厭わずに漏らす。かと思えば、うすうす思い出されていた記憶はどこへやら、記憶にございませんと三谷幸喜の映画ばりに10連発をかまし、結局は覚えていないと開き直る。そして今では、揺さぶりをかけられているのだと被害者面だ。そもそも、少しでもまともな政治家であれば、揺さぶりをかけられるような弱みを握られない。記憶が戻ったり消えたりと動揺せざるを得ないのは、揺さぶられてしまうほどの関係性が築かれてきた証の他ならない。

今日のX(旧Twitter。なぜだかわからないけれど、旧Twitterって言いたくなるよね)のトレンドには、#確定申告ボイコット が。そりゃそうだ。ここ数週間で得た情報からすれば、4,000万円以下の収入であれば申告は不要なようである。雀の涙ほどの稼ぎしかないしがない物書きからしたら、なんともありがたく喜ばしい限りだ。日本の未来は明るい。まるで奥歯にきらりと光る金歯のよう。もう大丈夫と思っていたのも束の間、ある日突然ズキリと痛み、金を剥がせばそこは闇。黒く腐って再建不能、痛みを感じる神経すらとうに失われている。

悲しいかな、私たち一般市民は、政治家たちが例の如くうわべを取り繕っている姿を、まざまざと毎日見せつけられているわけだ。この国の政治家たちは、まるではじめて氷上に立ったかのように、つるりつるりとうわべをすべっていく。想像以上の滑らかさに戸惑い、慌てふためいて互いにしがみつき、誰も彼も身動きが取れなくなっていくのはなんと滑稽か。

"Success is not final, failure is not fatal: it is the courage to continue that counts."——成功は決定的ではないし、失敗は致命的ではない。続ける勇気が大切なんだと説いたのはウィンストン・チャーチルだが、昨今の政治家は続ける勇気を持ちすぎていないだろうか?せめて去り際ぐらい潔く、儚く散ったらいかがなものかしら?と思う二月十六日の宵である。



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