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PENTAX 17と行く甲信旅行 (6) 飯田
これは「フィルム一本全部載せる」シリーズであるので、こういうのも出てきます。
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はい、キャップしながらやりました。
フルカラーマトリックス液晶なんてものがついてないフィルムカメラのPENTAX 17、なにかおかしいことを知らせてくれる手段も、たったふたつのLEDしかない。
で、キャップとってなかったらシャッター半押しで青色LEDが点滅するんですが、これは光量不足のときにも同じように光る。
光量不足でもシャッターは切れる。ここまでも、確かに暗くて青色LEDが点滅してたのを無視して撮影したコマがいくつかあります。
そうしてたら、キャップついたままでも、表示は同じでシャッターも切れる。気づかずそのままいっちゃう。うーむ。まだカメラを掴めてないな。
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ともあれ、松本から乗ってきた列車は、岡谷→辰野と経由して飯田線へ。
写真は伊那大島駅。
飯田線ってめちゃくちゃ秘境を走ると思ってたんだけど、結局飯田までは伊那谷の、のどかではあれ人里らしいところをずっと通る。
のちに、天竜峡を越えたら「よくこんなとこ鉄道通したな」というくらいすごいところを通っていた。
伊那谷は実に南北70kmくらいあるみたい。長いなあ。そんな細長い盆地って他にいくつもあるかな。
まあ天竜川沿いだからと思えば、紀の川沿いの五條~和歌山とか、吉野川沿いの三好~徳島みたいな感じかもだけど、伊那谷って海までいかないから、やはり独特な感じしちゃう。
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飯田駅に到着。
乗ってきた手前のは313系というやつか。向こうは373系かな。なかなかモダンなのがいる。秘境路線といわれつつも全線電化されてるんだなあ。
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おっとメロがいる。為栗駅だとかなりガチの秘境だから立ち寄りが厳しすぎたな。
Googleマップで駅周辺を見ても何もなくて、なぜ駅だけ、と思ったら、少し下流で平岡ダムができたときに集落が水没したそう。
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飯田駅。大きくはないけどいいデザインしている。
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駅前には「郷土民芸・水引き・つむぎ・天竜峡焼 おみやげ処 多月堂」という味わい深い店があり、だったら写真撮れよというんだけど、眺めながら歩いていったらこのいい感じの栄小路ゲート。
24年7月時点、「小」の左の点だけ残存しているんだけど、ストリートビューを見ると23年10月には小の中棒と路の字が残っている。22年10月には栄の字も残っている。しかし小の右の点は2015年9月に残っていたのが最後で早くに落ちちゃっていたようだ。
飲み屋ばかりが軒を連ねる小路で、今も店は複数やってるようだけど、やはりコロナ禍もあったし看板までは手が回らないかな。
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飯田も「南信の小京都」といわれ、京都めいた碁盤目状の町割りに、作り物じゃないリアル昭和そのまま感が残る町並み。
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市街地を南北にどーんと、林檎の並木道が貫いている。
りんごって東北で作ってるイメージだったんだけれど、長野県は生産量2位なのね。
すでに青い実がかなりふくらんでいるが、かなり間引かないとものすごい数が生るのがりんごという植物であるそうだ。
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ここでちょっとGRIIIでの写真になるんだけど、飯田には川本喜八郎人形美術館という最高に素晴らしい施設に遭遇した。
人形劇三国志と平家物語のあの人形が、わんさと展示されてる。
人形美術館といわれても興味ないな、と思ってたし川本喜八郎という名前を知らなかったけど、現場で気づいてよかった。
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館内撮影OK、とはいえわんさと出しても無粋なので一枚だけ。
いやー30年ぶりでも顔覚えてるもんだなあ。左が曹操で右が劉備って見ればわかったもんな。
この人形、目線を横に向ける機能も備えてるのだけど、横目を使うのは陰謀を使う悪役だと決めてたそうで、諸葛孔明は正面しか見なかったとか。
それから、ドラマに登場しなかった張遼の人形が作られて展示されてたりも。素晴らしかった。
PENTAX 17とGRIIIしか持ってなかったのが惜しいな。飯田に何度も通うのは厳しいけど、また機会作って行きたいな。
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川本喜八郎人形美術館を楽しみすぎてかなり時間が過ぎてしまったが、D51の保存車両がある……と聞いてやってきた。
のだけれど、えー……と、なんだ、これは静態保存とかというより置きっぱなしなのでは……。
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D51-402、1940年につくられて72年まで走った。
最後は中央西線を走ってたけど、別に飯田線とは関係なかったらしくて、なぜかここにきて、地元の方も特に愛着持てなくて置きっぱなしになっちゃってる、みたいな話らしい。うーん……。
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朽ちていくD51のテクスチャ。
まあなかなか見られないものではあるかもしれないが。
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これはD51の置かれている前の道が、銀座通りという通りとの交差点から東の方を見たところ。ここから急に下り坂になっている。
あまり戦国時代に印象が強いような城じゃないけれど、飯田も城下町だ。
で、伊那谷はずっと、天竜川の西側に一段高い台地が続いていて、その台地を川が削ってできた台地の突端に飯田城がある。
Googleマップの3D表示でも明らかに見えるくらい、三方が切り下がって西側だけ地続きになった城を作れといわんばかりの地形、歩いててもわかって面白い。城作れといわんばかりの地形だ。
この写真のところが、飯田城南側で台地を降りていく道で、水の手通りと名前があるので昔からある道なんだろう。
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超いい感じのリアル昭和建物の「木村屋」さん、パン屋だったのだけどあいにく閉店していた。
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多分もう廃業した「ホテルニューギンザ」地下にあった料理処「衣さ里美」の案内。漁火にその当て字。最高。
まあ余所者だからこうやって廃墟とかを面白がれるところはあるんだけれど。
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これもまた良い建物だなあ、と撮ってみたのは、飯田市立追手町小学校。
追手町は地名で、まあ場所的にも飯田城の大手にある。飯田藩の文武所を改造する形で明治5年に開校。
やっぱりこの校舎と講堂が、平成17年に登録有形文化財になっている。できたのが昭和4年ですって。
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かつての城の本丸だったあたりには、小学校と飯田市美術館と柳田國男館、県の合同庁舎には移設された城の桜丸御門、と文化施設が集まっていた。美術館とか覗いてみたかったんだけど、人形美術館に長居しすぎて間に合わず。
その奥には、長姫神社が建っている。飯田城が別名に長姫城とも呼ばれていたのが由来だろうけど、その別名の由来がよくわからない。なんだろう。
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長姫神社の祭神は、堀秀政・堀親良・堀親昌の三霊。
飯田に来るのは堀親昌の代から。堀親良は秀政の次男で、こっちは分家筋になる。本家は長男の秀治が継いでいる。
本家の方は、直江兼続の悪質な嫌がらせで結構たいへんなことになり、その後も藩主の短命やお家騒動など続いて改易食らってしまった。
堀親良は、ちょうどそのお家騒動のときに、たまたま折り合い悪くなって出奔していて連座を免れ、秀忠の下からやり直して最終的に下野烏山25000石の身にまで取り返した。
そして堀親昌の代になって、還暦過ぎて飯田に転封となった。年齢もあって一年くらいしか飯田を治めてた期間がないけど、初代ということで祀られている。
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遺構はほぼなく、見えるのは「観耕亭碑」というのだけ。
江戸時代後期の藩主堀親義は、自ら城を出て景色を眺めて楽しむのが好きだったのだが、殿様がぶらぶら外出したら農民は仕事止めて平伏せにゃならんで迷惑になるな、と気がついた。
では、ということで城にちょっとした物見小屋を作って、領民たちが仕事に勤しむ景色を眺めて楽しんだそうで、その跡を残したものであると。
飯田城って、杉の大木が生い茂って陰気で、街と隔絶された本丸が不便で、藩主は今の中央図書館や飯田合同庁舎があるあたりの桜丸御殿で過ごしていたそう。
距離は2~300m程度で別に急坂などでもなく、平山城や山城を使ってた他の殿様は呆れるんじゃないかとも思うけれど……。
本丸にある他の遺構は、今の美術館と柳田國男館の間にある空堀(Googleマップで見ると、南側の崖下から見に行けるっぽい歩道が見える)、神社裏の石積土塁(台地東側に野面積みっぽい石垣がちょっと見えるがこれ?)だけらしい。
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桜丸の方へ戻ってみると、門が残されていた。1754年に上棟。ほこの門は何度も通った。
他に二の丸御門も払い下げられて民家の表門になってるそう。
この後は城趾近くのホテルにチェックイン。
翌日は、豊橋まで早めに着いておきたかったので早朝に出立。
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ここにもローカル萌えキャラが息づいている。公用車を痛車にしてるのが飯田市。
ナミキちゃんも2012年にできたキャラらしくてかなり長い。諏訪姫・すわこといい、長野県はキャラを大事にするなあ。
ここから噂の飯田線の秘境をゆく。天気悪かったけど雨もまたよかったな。フィルムは飯田で補充できなかったので、撮影はGRIIIで。
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飯田線で最も利用者が少ないらしい金野駅。
一応金野という集落の最寄り駅ではあるんだけど、3.5kmくらい離れていて、駅を利用するのが一苦労。
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雨のソフトフィルター。城西駅。
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中部天竜駅。佐久間ダムの最寄り駅はこっちになるかな。
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ゆるキャンにも登場したらしい鬼の駅舎。東栄駅。
ということで豊橋に到着。
以前来たことがある街なんだけど、うっかり路面電車の乗りつぶしをやったのに寝過ごして吉田城に寄り忘れてたから、今回再訪。
でもちょうど石垣の修復工事やってるとこだった。
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1954年に建てられた模擬天守ならぬ模擬鉄櫓が展示施設になっている。
石垣は立派に残っていて、ところどころ軍に使用されてた頃の名残などもあり、なかなか威容がある。
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豊橋駅を降りてまず見かけた藤田屋の大あん巻きを買い、豊橋駅から帰宅するときも藤田屋の大あん巻きを買う。
食い物にまるでこだわらない旅行をする私なんだけど、これほんと大好きなんだけど最寄りの店も名古屋駅だから早々買えない。似たようなお菓子ならありそうだけど、これが一番うまいから仕方ない。
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