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和束の茶畑(J limited 01 / smc PENTAX-FA 31mmF1.8 Ltd.)

 ゴールデンウィークだけど特に旅行の予定などもしておらず、9連休あってもどうしたもんかなあ、と。

 で、10年くらいは前かな、名古屋方面から大阪に単車で帰ってくる最中に、たまたま空いてそうな道を選んで水口から信楽と通ったんだけど飯時にピンとくる店がなく、和束町まで来てそば茶も出してるお茶屋さんのカフェがあって入った。
 そこで、この和束町が、宇治茶として売られるお茶の産地であるといい、上等な玉露を飲めるというので注文してみたんだけど、これがもうものすごい旨味で、私が知ってたお茶とはあまりにも違うと。
 かなり印象的だった思い出だったんだけど、今奈良市北部に引っ越してきてみると、和束町って道のり20kmくらい。小一時間で行ける。

 そういうわけで、行ってみました和束町。


京都府立山城郷土資料館

 国道163号を走っていくと、突然看板が見えたので急遽立ち寄り。

 この昭和な看板。しかし、今年のこの企画展をこのテイストで看板にできるということは、描ける人がいるのか……。

 くしくもこれから行く恭仁宮の展覧会。
 聖武天皇藤原広嗣の乱や旱魃や疫病、大地震で乱れた世を受け、740(天平12)年に突然「恭仁に遷都するからやっといて。俺東国まで旅行いくわ」と平城京を飛び出して美濃あたりまで一回りし、そして翌年正月に作りかけの恭仁宮で朝賀の儀をやっちゃう慌ただしい遷都。
 なんか「仏教を広めた天皇」くらいしか知らんかったけど、なんか相当な天皇だったのね……。

 南山城ってそんな歴史的に華やかでもないかと思いきや、奈良時代にはかなり面白いネタが色々あるとこみたい。この博物館も古いけど、展示内容はなかなかの面白さだ。

千両岩古墳群

 さらにここは古墳群の中にあり、見学道も用意されている。受付に一声かけて、資料館の屋上に上がると、そこから通路がある。
 屋上からの景色もなかなか。

 通路はきれいにされていた。
 古墳の方は、まあ土が盛られてるな、という程度。もっとずけずけ踏み込んでいけばなにかあったかもだけど。看板とかも割れて打ち捨てられていて、わかりやすくはない。

 たけのこめっちゃ出てた。

 茅葺きの住居があったり。

 茶摘み体験イベントも目前で、小さな茶畑を作って育てていた。

恭仁宮・山城国分寺跡

 資料館から東にちょっと走ると、恭仁宮のある瓶原(みかのはら)という地域にくる。
 恭仁宮跡は広い平原だけど、駐車場などは見当たらず、道が狭いから単車停めるのも気が引ける。案内によると、ちょい東にくにのみや学習館という施設があり、駐車場はここで使わせてもらえると。
 中はDVDを流していたり、少しばかり地元の方が作った小物が売られていたり。そして大振りな梅干しが3つだけ入って100円、と一人暮らしにちょうどいい小分けで売ってくれてたので購入。

 隣の公民館もいい味出してる。

 瓶原は、江戸時代の例幣使にかかる費用を賄うために御料地にされていた土地で、碑が建っている。

 広い原っぱにすごく目立つのは、かつての山城国分寺の七重塔の礎石。

 またきれいに残ってるなあ。

 西側にはちょっとだけ石垣で盛り上げ、大極殿跡がある。恭仁宮は作って早々と遷都されちゃったから、建物ごと国分寺に転用したらしい。
 すぐ南は恭仁小学校になっている。世が世ならすごい立地だ。

 多分古いんだろうと思う……墓石? 古いにしてはデザインが精緻な気もするし、よく見ると猫耳みたいなのついてる。なんだろう?
 左手にはもう植物に侵食されてるというすごい状態のも。

和束町

 ここからちょいと東に行き、和束川の手前で左折(看板出てるからわかりやすい)。府道5号線を上っていけば和束の集落に至る。

 とりあえずこの「和束茶カフェ」とすぐ隣の「和束の郷」というところが、観光拠点になっている。観光マップなどもあるし、休憩もできる。食事は軽食くらいだけど飲料の補給もOK。
(しっかり食事したい時は、少し5号線のほうに戻ったところに「烏帽子」というお店あり)

 ここから歩いて茶畑を見に。
 実にいい景色だったので、特に余計な言葉などなく写真を並べる。

 黒いカバーはかぶせ茶か玉露か、お茶の旨味成分であるテアニンが日光で苦味成分のカテキンに変わる作用を抑えるため、日光を遮る。

 このあたりだと一面に茶畑が広がってる感じで圧巻だし、この後府道321号線を井手方面に帰っていく途中には、急斜面の一角が突然孤立した茶畑になってたりしたのも見かけ、あれはあれで「こんなところが」と驚かされた。あえて日当たりが悪いところで育てるとかあるのかな。

弥勒磨崖仏

 観光マップによると、和束川沿いに磨崖仏があるというので、ちょっと寄ってみる。

 お、おおっと。でかいし近すぎるし、ド逆光になっちゃう。つらい。
 多分これ、写真撮るなら和束川の対岸から望遠のほうがいいんかも。

 正安2年(1300年)の銘があるというから鎌倉時代の終わりの作。
 和束には修験道の古刹・金胎寺があるので、このあたりは参道にあたるらしい。
 金胎寺も伝承では天武天皇の頃に役小角が開いたというけど例によって伝承。どうもはっきりした記録がわからなかったり、栄えたり廃れたりしていたらしい。
 で、伏見天皇が1298年に行幸して、今も残る多宝塔が勅願で建てられたという。1300年前後にはちょうど盛り上がってたみたいだ。


 ゴールデンウィークがちょうど新茶の時期で、訪れるには気候も良くて実によかった。
 夏場にはもっと色濃くなった茶畑も見られ、秋にはカテキン豊かな秋番茶が取れる……ということで、季節を変えてまたこようかな。

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