岡山の城巡り(1)備中高松城 (K-70 / smc PENTAX-DA★16-50mmF2.8)
ゴールデンウィークは真ん中3日が暦通りに仕事な弊社。
しかし直前になって、misskeyで岡山の話してたから、そういや行ったことないなあと思った。
じゃらんでホテルを検索したら、27日の夜にまだ安いところに空きがある。おっ、と思って予約して、新幹線もまだ取れた。
そういうわけで、備中高松城→岡山城を見て一泊、帰りは在来線で寄り道して帰ろう、ということに決定。
カメラは、かなり歩くかと見込んで軽量に、K-70とsmc DA★16-50mm。
いつものJ limited 01に比べれば、F2.8通しの標準ズームを付けての重量がかなり変わってくる。
最近まで苦手だった標準ズームも、F2.8通しならいいかもしれない、と思ってるところなのでこれで。
岡山へ
新幹線乗り遅れを心配しすぎ、1時間くらい前についてしまったので、ホームの端まで歩いてみたりした。新幹線ホームの端なんて行かんもんな。
岡山まで乗車時間は一時間足らずで、10時頃到着。
到着して一旦下車してなにか食べとくか、備中松山にはなにもない可能性がある(この読みは正解)、ということで駅ビルで店探したけど、ことごとく11時から。マクドしか開いてるところ見当たらず。仕方なし。
元々食に執着が薄いので別にいいんだけれど、岡山の食の名物って全然知らなかったな。まあ桃はもちろん知ってるけど、料理となると……?
ぐぐると、歴史的にばら寿司が名物らしい。池田の殿様が一汁一菜にしろと倹約令を出したから、飯に具を混ぜて守ってますよと言い張ったそうな。
それからデミカツ丼……と言われると最近仕掛けたんかなと思ったら、戦前からやってたそう。他所にも似たようなものありそうだけど、ソースカツ丼とはもちろん違う、加古川のかつめしは牛カツでやるから別。
シーフード系が色々あるみたいだけど、私エビカニが好きじゃなくて、貝は絶対食わないので、えびめしとか日生カキオコとか全部だめで。
ともあれ備中高松に向かうぞ、と吉備線の時間を調べると一時間待ち。
所要時間はほとんど変わらないけど、ステーションメモリーズが進むので、一旦伯備線方面の列車に乗って総社から回り込むことにする。
これは乗る前にやってきて岡山止まりだった回送車だけど、「またレトロなんきたなー」と思ってたら、どうもこのあたりには相当多いらしい。115系ってやつね。
でも乗る列車は新しくて、多分227系というやつ。
総社駅ではさっさと乗り換えのみ。吉備線は非電化だから車両もキハ47形。それにしても気動車乗るのも久々だなあ。気動車に乗るような旅行ができるほど、生活が立て直せて余裕ができたものだ。
私は「吉備線」と覚えてきて、総社駅では「桃太郎線」と知らない呼び名を使ってたから困惑しちゃった。
岡山→倉敷→総社→岡山と環状線が形成されているけれど、歴史的にはまず山陽本線があり、そこに今の吉備線が、高梁川の水運を岡山につなぐための私鉄としてできたそう。そこに高梁川沿いに伯備線がひかれるとなって、水運は衰退するだろうから港の駅を廃止して総社に繋いだ、とのこと。
備中高松城
備中高松駅は意外と、といったらなんだけど、結構人が乗ってくる。まあベッドタウンなのかな。それと高校もあるらしい。
なんだか超巨大鳥居が立っているのが結構離れたところから見える。
まあ奈良県民にとっては超巨大鳥居は大神神社ので見慣れたもので、でかいこと自体にそこまで驚きがあるわけではないのだが(謎の対抗意識)。
この先に3キロいくと、日本三大稲荷のひとつ・最上稲荷がある。
なお日本三大稲荷は、伏見稲荷以外の残りふたつは言い張る人によって違うという争いの火種みたいなセレクション。まあ豊川稲荷が有力そうだけど、あとの一つが難しい。
鳥居を越えて、水路沿いに東へ歩いていくと、蛙が鼻築堤跡が公園になっている。秀吉が高松城を沈めるために築いた堤防の東端。
1998年に発掘調査が行われて、水田の1m下に築堤の基部が出てきた。杭を打って土の俵を土台にして、近所の山から土をどんどん盛ってきて積み上げていった、とわかったそうな。
これがずーっと西の方に4kmほど行った足守川まで築かれて、梅雨の雨で増水した川から流れ込んだ水が備中高松城を島にしちゃった。
あのハシゴっぽいオブジェが、備中松山城の本丸の高さを示してるそう。
丸のすぐ下の横棒が、本丸の一番高いところの高さを示している。
これによると高松城本丸の高さは6mほどだったらしいが、それは本丸近くの地面からの高さ、つまり比高かな。このオブジェの付け根がすでに5mくらいっぽく、このあたりはちょっと地面が高いようだ。まあすぐ向こうに見えてる丘の山裾だから高いだけかな。
そういえば、秀吉時代はどうやって堤の高さを決めたんだろな。
蛙が鼻の背後に見えていた丘は石井山というそうで、秀吉が陣地を構えていた。備中高松城を悠々と見下ろせる場所。
そして実にいい感じに目立つ岩があるそうで、これは秀吉が目印にしただろうということで、見に行ける登山道が作られている。
ただ、ちょっと今回は他に行きたいところもあるのでパス……。
すぐ近くの御崎神社の方へ。
ここは元々近くの立田村(どちらかというと石井山を越えた東側っぽいが)の氏神様で、吉備武彦を祀る。珍しい祭神だけど名前通り吉備ローカルで、ヤマトタケルのパートナー的な人物。
小さいながらも感じの良い神社で、門まである。
高松城水攻めのときには、堀尾吉晴がここに陣を張った。で、神社の梵鐘を陣鐘に流用してガンガン突いて、ついにぶっ壊したという伝承が残ってるそうな。罰当たりやなあ。
しれっと建ってるけど、本殿は元禄時代のもので400年以上の歴史があると。
さあ高松城へ。県道241号から、この兵士のところから西へ行く道へ。
この先、地図を見ながら歩くと右手にあれこれ、ごうやぶ遺跡とか清水宗治自刃の地などが見えるけど、右折してどこかの道に入ってもそれらにはアクセスできない。それらがあるお寺の裏にいっちゃう。
私は裏に行っちゃったのでずっと北へ歩く。そのあたりは武家屋敷があったらしいけど、これといった痕跡もわからなかったな。
結局清鏡庵という和菓子屋があるあたりまで回ってしまって、いきなり備中高松城の本丸にあたるところに来ちゃった。
本丸は色々記念碑やらがあり、そして清水宗治の首塚がある。
元々秀吉本陣跡に首塚があったんだけれど、そこにあったお寺が移転することになって、首塚は城址に移された。
水攻めの真っ最中に本能寺の変が起きて、慌てて秀吉が毛利方に講和を申し込んだんだけど、備中備後美作伯耆出雲の五カ国を割譲するのはいいけど清水宗治の命をどうするかでまとまらない。
それで宗治が自ら命を差し出す形で講和をまとめて切腹。
美談ではあるのだけど、秀吉が本能寺の出来事を隠したままでまとまった話で、後で知ったときの毛利の面々はさぞ……。
当時の地形とは違うと思うけれど、本丸と周りの高さもあんまり変わらなく見える。当時はもう少し差があったのかな。
沼城というのも、守る側には視界が開けて矢でも鉄砲でも撃ち放題だし、攻める側は馬の機動力も使えないしで、なかなか落とせる城でもなかったらしい。
だから秀吉が水攻めをしたんだろうけれど、それにしても堤を築いて川の水流し込んで水没させようなどとむちゃくちゃ考える奴がいるとは想定外だろうなあ。
本丸と二の丸を隔てる池は、昭和57年に城址公園を作るに当たって復元したものなんだけど、どうもその時に地中に眠っていた蓮の種が勝手に育って花をつけたそうな。それで宗治蓮と名付けられている。咲く季節にくるといいね。
二の丸は発掘調査まではやってないそうだけど、備中高松城資料館が建てられている。
ごく小規模なものだけど、どうも地元の方が運営委員会を作ってやってて、予約すれば城址のガイドも個人なら無料してくれるそう。どうもこのあたりを歩いてると感じるんだけれど、清水宗治がものすごく慕われているようで、資料館もそういう流れでやってるみたいで。
公園内はきれいに整備されていて、花もよく咲いている。
城址の東側に、妙玄寺というお寺がある。そんな広大なお寺ではないけれども。
関ヶ原の後に高松の領主になった花房職秀という人があって、その人が城のすぐそば、清水宗治が自刃したというところにお寺を開いた。
彼は元々宇喜多直家の家臣として叩き上げた人で、秀家の代にも引き続き仕えていたけど、これが剛直の人というか、秀家にもずけずけ物言って大揉めになって宇喜多を離れた。
その時に家康と縁ができて東軍について、それで高松をもらった。
別に秀家を恨んでいたとかはなかった、どころか、八丈島に流された秀家にずっと米を送っていたそうな。
清水宗治自刃の地は、このように祀られている。
花房職秀は清水宗治にも敬意を払って、高松院殿清鏡宗心大居士と戒名を付けて供養していたとのこと。
またすぐ近くにごうやぶ遺跡というところがあるが、清水宗治の切腹を追って、七郎次郎・与十郎というふたりが互いに刺し違えて果てたそうで、その場所がここだと伝わる。
それから城から駅に戻る途中で、舟橋という史跡があった。
今は細い水路しかないけれど、秀吉が攻めて来るにあたって八反の堀をここに掘って、すぐ外せる橋として船を並べた、とのこと。
岡山電気軌道
岡山に戻って、今度はおかでんを乗りつぶしに。まずは東山本線から。
岡山ではすし詰めレベルの乗客が乗り込んだのだけど、もう90%くらいは岡山城最寄りの城下駅で下りてしまった。電車を待ち、短い路面電車の駅をたった3つ行って、一斉にぞろぞろ下り終わるのに5分かけて、歩いたほうがいいんじゃないかと思ったけど、まあおかでんの主要客だ。
まずは東山・おかでんミュージアムまで来る。
なんかこう、岡山の市街地はきっちり碁盤目状に道を引いてて、そこに線路を通すからコーナーがいちいち90度。しかも旭川を渡った先の中納言-門田屋敷間なんかもうシケインといっていい。
そんな強烈な線形だけど、なんかスピード結構出す感じ。直線区間でもめっちゃ揺れる。大丈夫なんか。
で、写真右手に見えているおかでんミュージアム。
どんなものかなと入ってみたけど、なんか今は「おかでんチャギントンミュージアム」となっており、ほぼ子供向けの施設だそう。受付の方がわざわざ教えてくれて、今回は遠慮。
岡山駅にもチャギントン電車が止まっていて、今のおかでんではこのタイアップが相当重要なところらしい。
まあ路面電車のミュージアムを愚直にやっても、マニアが一回来て終わりで持続性があまりないのかもだなあ。チャギントンなら子供が何度も来るんだろう。
で、東山駅から岡山城へと歩いていく(一般的な行動ではないです)。
のだけど、記事が長大になりすぎるのでここで一旦区切り。
おかでんにはもう一本、柳川停留所から南に行く清輝橋線があるんだけど、これは岡山城の後で橋まで乗った。ステーションメモリーズが進むぜ。
下りてから、予約してたホテルがある大元駅の方まで歩いていった。歩いた途中には、流石に住宅地っぽくて観るようなものはなかったなあ。
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