大淀町を歩くつもりで大体吉野町を歩いた(J limited 01 / smc PENTAX-FA 28-200mmF3.8-5.6)
奈良県の未踏自治体を歩いてみるシリーズ、前回が1月末だったんでずいぶん間があいたけど、久々に。
今回は、大淀町を歩いてみようということで、近鉄吉野線大和上市駅から歩き出すのでした。
大和上市駅から
先日京都で買ったFA28-200mmですが、うっかり試写レビューした記事が下書きのまま眠ってました。これはあとで公開するとして、今回はいきなり実戦投入。
一応Exifから焦点距離を書いてますが、このレンズはかなり大まかにしか焦点距離出ません。参考程度に。
で、まあフィルム時代の28-200mmが写り良いわけがないので、プログラムラインを深度優先(感度上げてでもF11とかガンガン使っていく)にしてます。
そして絞っても歪曲収差は消えないんですね……思いっきり糸巻き歪曲しとるな。
100mm超えると歪曲はちょっとましかな。
近鉄吉野線、意外と列車の本数はあるのに単線だから、各駅停車はもう1駅行ったら行き違い待ちで遅い遅い。やはり吉野で南朝を復興すればさらに乗客が増えて、複線化も現実味を帯びてくるのでは……
駅前に観光案内所があるんだけれど、近くの自治体の観光案内とかが中心で、これから行きたいところの散策マップなどは見当たらず。レンタサイクルがあったから行き先によっては。
それから、駅前に「ひかり食堂」っていうリアル昭和な飲食店が現役だった。財布に1万円札しかなかったので遠慮したのだけど。
吉野線が吉野川を渡る吉野川橋梁。
ここから、鉄道を離れて東の方へと歩いていく。よそ者には吉野町の中心は吉野駅のほうかと思ってしまうが、町役場があるのはこれから向かう東の方。
吉野川沿いのエリアも、川沿いにずっと市街地が続いているような感じのところで、郊外ではあっても田舎とか秘境とまでいうほどの雰囲気ではないなあ。
大師山寺
吉野川沿いの道は、吉野上市から見れば、東に行けば熊野、西に行けば高野山という参拝の道。それで今に至るまである程度の賑わいを保っているのだが、そこで昭和な参道を発見。
階段を登っていくと、参道脇にはニッカリモノラック。
吉野川沿いは渓谷みたいなもので、平地なんて流れ込む支流の河口にちょっとある程度。それ以外はもう川・道・崖という地形だから、崖からとれるものを生活に活かすしかない。
にしても、流石に今となってはこのモノラックが何を上げ下ろししていたのかはよくわからなかった。たけのこかな?
高台なので景色もいい。
桜町天皇の頃、延享二年に開山して、多くの参拝者があった。人気すぎたから妹山に移転したけど、どうも弘法大師の加持力が発揮されなくなってすぐ戻したそう。妹山ってもっと古くからの霊山で、誰も開発しようとせず現代に至って古くからの樹叢が手つかずで残って国の天然記念物に指定されているようなところだから、流石に弘法大師も遠慮したらしい。
お堂はそんな立派なものではなかったけれど、こういう立地なので檀家さんのお墓が並ぶ場所もない。ご住職の祈祷でやってるお寺だそう。
お金が潤沢とは思われないけど、こつこつ手作りみたいに整備され続けてるような、なんともいい味のあるお寺であった。
吉野上市市街
吉野川の断崖の隙間に人が住んでるような土地だけれど、吉野川に流れ込む支流の河口あたりはすこし利用できる土地が増える。このあたりにも、北から千股川が流れ込んでるおかげで、道が二~三本並行できるようなスペースがある。道の合流点に蛭子社が建っていた。
ここで振り返ると、「猩々」で知られる酒蔵・北村酒造が大きく構えている。なんというかこの土地の名家っていう雰囲気ただよう構えで多数の関係施設が建っていた。
道を挟んで向かいに建つこのスーパーいい感じの建物。江戸時代の町家のつくりが、明治大正になって二階も堂々と作られるようになった感じのやつに、なぜか貼り付けたような洋式部分。ショーウィンドウみたいなのがあるけど店舗というには入口が小さいし、一体どういう建物なんだろう。
そしてオッペン化粧品。昭和の頃にはめっちゃテレビCMあったんで、オールド関西人にはおなじみ。
北村酒造、買えるかと思ったけどGoogleマップで見ると土日休みだったので、山側の裏手の道へ。
おそらく北村酒造の施設のひとつ。こんなのが多数あるの。
なんかGoogleマップには、この道に「上市の古い町並み」というスポットが設定されていた。吉野ビジターズビューローでも紹介記事があるけど、別にこの場所に限らず町並みは大体よい。
見ての通りで町家のつくりが並んでるけど、ここらは民家が中心だからちょっと建物モロにとかは遠慮するな。
川の方におりてくると、「やたがらす」の北岡本店がある。
あるのだが……なんと「棚卸しのためお休み」と無情の張り紙が。
北岡本店のすぐそばに、吉野川を渡る桜橋がかかっている。
吉野川沿いの街道は右岸、北側なんだけれど、高野山も吉野山の金剛峯寺も南側なもので、多くの渡し船があった。ここにも桜の渡しと呼ばれる船が出てたそうで、それがそのまま橋の名前に。
橋を渡るとすぐ、柿の葉寿司の平宗がある。今でこそ奈良のどこでも買えるけど、もともと柿の産地である五条や吉野で、塩蔵の鯖を使ったローカル色として生まれたのが始まり。で、昭和37年に天王寺ステーションビルができたときに、平宗が柿の葉寿司を持っていったのが、近畿圏に広まっていく始まりだったと。
柿の葉寿司は、鯖・鮭、そして穴子。
それから焼き鯖の棒寿司が私は大好きなのだけれど、この分厚いずっしりした油の乗った鯖を、しかし焼いてあるから生臭さは抑えられ、小骨が残ってるなんてこともないさすがの仕事。
いずれもネタがきっちり噛み切れるので、二口に分けても崩壊せずいけるので安心。
本善寺
平宗からふと南を見ると、桜に包まれたような門が見える。
境内もこの見事な桜。
飯貝御坊本禅寺は、蓮如が手ずから1476年に建てたという寺院。実子の実孝が住職を継いで、代々蓮如と親鸞の遺骨を今に伝えているそう。
境内ほとんど国の登録有形文化財。
本堂は、天正6年に筒井順慶に攻められて一度消失するも、寛文年間(1661~72)に再建されて現存。
この桜の木も、蓮如が桜が好きだったからと、実孝が植えたものだという。一度枯れたけど根から再び出た芽が育って今に至るそう。
桜が大量に植えられてる、ってわけでもないけれど、ある木がこれだから見事だ。
本禅寺から西の方へ歩いてたら道端に。別に桜を意識して吉野を歩きに来たわけでもないんだけど、名所ともなにも関係ないところでこんなん立ってるんだからさすが吉野。
本善寺のあたりから西の方は、製材業が盛ん。
吉野川がまっすぐな流れに変わるところで、丹治川が南から流れ込んでいるので平地もある程度あり、古くから木材輸送ができる場所だったんだろう。
道端に突然コンクリート構造物が現れ、何かと思ったけどこれ水門の跡だった。 ちょっとした小川が水路のように整備されていて、材木橋という橋がかかっていたところについてる。
吉野神宮駅~柳の渡し
桜のシーズンだけあって、阿倍野橋から吉野まで各駅停車が直通運転してるぞ、とヘッドマークかけたのが通っていった。
意外と駅舎が大きい吉野神宮駅。駅前には神宮の大鳥居もある。
ここから西の方へしばらく歩く。引き続き製材所多数と、あとは住宅地という感じだったりで、あまり写真などは遠慮。
川向うからの写真だけど、「花巴」の美吉野醸造に立ち寄った。
蔵みたいな建物の重い引き戸を開けて中に入ると、人懐っこい感じのマダムが色々解説してくれつつ、色々試飲させてもらった。
花巴は仕込み違いで山廃・水酛・速醸でつくっていて、速醸以外はあえて厳密な温度管理をしないホーロータンクを使って、仕込みの時期や年度、なんなら個体差まで出てるのを飲み比べる。
有機米をあえて精米歩合80%で超甘口に仕上げた「南遷」、吉野杉の樽で貯蔵熟成した「百年杉」などいろいろ。
制御しきれない自然の成り行きをあえてそのまま強く出してるらしい「自然淘汰」というシリーズもやってて、なんだかマニアックな方向性の酒蔵だった。
いつになく温かい日で徒歩帰宅なので生酒は避けて、試飲だけで9種も試させてもらった中で、独特の酸味がきいた「花巴 水酛純米 火入れ酒」で。
水酛ってなんだろう、と検索すると記事があったけれど、一旦生米・炊飯・水と乳酸菌でそやし水というのを作って、米を蒸し直して麹とそやし水で醸造する、といったつくりだそう。
生酛造りの元になったやり方だそうで、生酛よりもかなり乳酸が残って酸味が出る。これはもう素人でもすぐわかるくらい明確に酸味があって、米の甘みと合わさって、好きな人は大好きな感じになる。
日本酒そんなに好きじゃないで白ワインとか飲む人の方が好むかも。私もこれは大アリ。
そのすぐ近くは、かつて柳の渡しが通っていたところで、今は美吉野橋がかかっている。
一時は近鉄吉野線も今の六田駅が終点で、吉野神宮や金峯山寺へもここから。さらに熊野までいくならここを渡って大峯奥駈道で山に上れたそう。
また吉野川を渡る。
対岸にも、かつての柳の渡しの灯籠が残されている。
大淀町公民館の六田分館、東側にお社があるので、その前までいくとちょっと見えるここ。この線路脇に、かつての吉野軽便鉄道時代の吉野駅プラットフォームの石組みが残ってるそう。こっちからじゃ角度的に見えないが。というか大淀町のサイトで見せてる写真のところ、鉄道施設内で一般人は入れないと思うのだけど
もともとは吉野軽便鉄道という会社が、国鉄吉野口駅からここまで線路を引いて、吉野駅を作って1912年に開業した。
その後、橿原神宮前まで北に伸ばして、大阪軌道橿原線(今の近鉄橿原線)と接続。
それから1928年にここから今の吉野駅まで延伸、元の吉野駅が六田駅に変わって今に至る。
六田駅は今でも車庫のある駅になってるのは、かつての終着駅の名残なのかな。
さて、一応大淀町も歩いたので経県値更新……といいたいところだけど、大淀町を歩くつもりで、実際歩いたところの大部分は吉野町だったな。目的を見失っていた……。
まあ、下市町に行ってみるときにも寄れると思うので、それと合わせて行ったことにしよう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?