久しぶりに来た友達
8年前です。
固定電話の向こうの声は涼しく笑っていました。誰…?
「ンフフフフ、お久しぶりコシさん?ルキです」
「え〜〜っ!!!ルキさーん?!お久しぶりー」
コシさんとは、ワタクシの旧姓です。
どれくらいお久しぶりかと申しますと20年ぶり。
電話の涼しい笑い声は、昔ワタクシが初めて就職したアパレルメーカーの1年先輩で同年齢のデザイナーだった友達、ルキさんでした。
どれくらい昔かと申しますと、男女雇用機会均等法が制定とか施行とかされた3年くらい前、つまりカナリな大昔です。
当時、昔の友達とは疎遠になっていましたので大変嬉しく、そして嬉しい以上に驚きでした。
ルキさんは、コシさんに会いたいから最寄り駅まで来てくれると言うのです。
ワタクシは嬉しいのと同じくらい…?ってなりました。
自由と孤独を愛する人ぶっているワタクシは、実は、お久しぶりに いただく連絡がとっても嬉しいのです。
若い時、喜んでしまって傷つきました。
選挙とか、宗教とか、保険とか?
ルキさん、なんで今さらワタクシなんかに会いたいんだろう?それも突然。
ま、いっか。
選挙はテキトーに話合わせとけばいいし、宗教だけは乗らない自信あるし、お金貸して だったら無い袖は振れないけど、ルキさんのことは好きだったから…30万、いや、そんなには無い。10万円くらいならなんとかなるかもしれないな、それ以上は嫌だけど。
ささやかながらクリスマスのイルミネーションが輝く最寄駅の改札口で待っている間も、なんでココなんだろう?
ルキさんの会社は青山だからご飯食べるならそっちの方がいいのに。
来るって宗教っぽいよなあ、
嬉しさ60% 怖さ40%。
いえ、逆だったかもしれません。
現れたルキさんは、相変わらずのセンスでした。ワタクシの知らないブランドのコートは黒のアルパカ、ブーツはコールハーン、アクセサリーは無し.。
セミロングだった髪はベリーショートになり、そして……痩せてました。
痩せている……当時から細身なほうだったけど……さらに。
心に湧いた「ゲッソリ」という表現を打ち消しました。
20年だもんね。
加齢はお互いに相当な変化をもたらしてる、当然だよね。
そう自分に言い聞かせ、それでもとにかく再会が嬉しくてワーキャーはしゃぎました。痩せたルキさんですが、昔のように涼しく笑っているのでワタクシの警戒は一気に解けて、思わず疑問を口にしました。
「全然変わってないんだけど、ちょっと痩せた?」
「うん、病気したのよ」
ゲッソリの予感が的中してしまったのか。
「でも、もう全然大丈夫、治っちゃった」
と、ちょっと深刻にならざるを得ない病名を告げられました。
涼しくと言うよりは殊更にケラケラと笑いながら、胸の前で手をヒラヒラさせながら。
心配しないでほしい、というルキさんの希望は充分感じ取ったけど、そうはいきません。
比較的美味しいと言えなくはない和食のお店でビールを飲みながら話しました。
「ルキさんに会えて、すっごく嬉しいんだけど、何故20年ぶりの今?」
「コシさんも子育て終わって自由な時間が出来たんじゃないかな?と思ったから。家庭がある人は私みたいには、いかないじゃん、だから遠慮してたの、近場ならそろそろいいかなと思って」
はっ、としました。
申し訳なさと恥ずかしさでいっぱいになりました。
20年前、1歳の息子を夫に託して2年ぶりにルキさんと飲みに出かけたワタクシは、全く楽しめませんでした。
日頃から育児に参加してるわけではない夫が、息子をどう扱っているのだろうか?心配で仕方なかったのです。
自由と自己を貫く人ぶっているワタクシですが、実は、世間のその時代特有の倫理観、ご時世に流されます。
今じゃどう考えても悪いワーケがないのですが、当時は母親が1歳の子を夫に面倒見させて飲みに行くなんて、という後ろめたさがありました。
その夜、まだまだ盛り上がりたいルキさんの前で、ワタクシは時計ばかり気にして会話も弾まなかったと思います。
それ以来、会っていませんでした。
ルキさんって、そんな気遣いをする人だったっけ?これが流れた時間の大きさなのかな。
選挙とか宗教とか保険入ってとか、まったく言いそうもないし、お金は私より持っていそうだけどか、もしもこの先ルキさんが私に何かを頼んでくれたなら、もうワタクシは全部受け入れようと思いました。
「病気のこと言ってくれたらよかったのに」
「遠慮って言うより、そんな暇もなかったの、情報集めと会社への隠蔽工作で必死よ、病気なんてバレたら一発で切られちゃうから」
首に手刀をチョンチョンと当てて、大変だったんだから、とカッコ良く涼しく、でもその時は笑ってはいませんでした。
流れ流れて大会社の非正規契約のデザイナーになった独身のルキさんは、通院、検査入院、手術入院、その都度の欠勤を全てリサーチだとか旅行だとか自腹の視察だとか でっち上げた嘘で通し、セカンドオピニオン、サードオピニオン、あらゆる治療法の情報収集を1人でやってのけ闘病し、
そして何の役にも立てなかったワタクシに会いに来てくれたのです。
ルキさんって、そんな強い人だったっけ?
いくらなんだって凄すぎます。
あ、でもそうだった。
遥かな昔、出会った頃の強烈な出来事を思い出しました、思い出すと言うより忘れることなど出来ない1件です。
ワタクシは、デザイナー志望だったけどデザイナーとしては何処にも採用されず、どうしようもなく「パタンナーだったら」の条件を飲んで採用されました。
ある日、チーフデザイナーに「会社ではパターンやってもらわないと困るけど、出したいデザインあるんだったら見るわよ」と、翌日のデザイン画検討会へのデザイン画提出を許されたのです。
やったー!ありがとうございます!嬉しいです!描いてきます!出します!
終電ギリギリまで残業して家でデザイン画を描いてくる。
今 考えたら おかしな話かもしれません。何が嬉しいんだか、ありがたいんだか、かもしれません。でも当時は何の疑問も感じませんでした。
帰って徹夜でやれば10枚くらいは描けちゃうさ、と張り切って臨みました。
今で言うドヤ顔で10枚のデザイン画を提出しました。と、チーフデザイナーとチョッピリ意地悪な先輩パタンナーがニヤリと笑います。
ちょっと嫌な感じでした。
そこへ、遅刻したルキさんがダンボール箱を抱えてやって来ました。
「スンマセン、渋滞しちゃって」
と言いながら。
え!?渋滞?車で来たんですか?
へえー、ルキさん車持ってるんですか?
そうかルキさんは実家が東京だから実家の車なんだ。ま家賃も食費も駐車場もタダなら車くらい自分で買えるかもしれませんね、って言うか、入社2年目って車で来ていいんですか?
あーもう超嫌な感じぃっっ、そう思いました。
「出た、やっぱりダンボール箱」チーフデザイナーはそう言って、遅刻を咎めることもなくニヤニヤしていました。
¥3900のTシャツを10枚くらい出荷する用の小さなダンボール、とは言え、その中のデザイン画は数百枚はあったでしょう。
ルキさんは、仕事中は企画会議で決められた展示会テーマに沿ったデザイン画を描き、その他に自分のやりたいデザインを家で描きため持って来たのです。
入社当時からずっとそうしているのだとチーフデザイナーはワタクシに言いました。
悔しい、ワタクシは、昨日言われて一晩しかなかった。
いえ、言われなくても前々から描いていればよかった話ですけど。それにしたって遅刻していいんですか?やっぱり、超超嫌な感じ、納得がいきませんでした。
でも、あらゆる悔しさも負け惜しみも、ダンボール箱のデザイン画を見て消えました。
どう頑張ってもワタクシには思いつけない、独創的でありながら素敵、こんな服あったら絶対に欲しい。そして絵が上手い、売れてるイラストレーターの誰にも似てないのに魅力的。
見せつけられ思い知らされました。
デザイナーはあきらめよう、無理だ。10代の頃から憧れて、高校からそのためにバイトして、上京して文化服装学院を卒業して、何とかパタンナーからでもいつかチャンスを掴もうと思っていたのにアッサリと納得しました。
私は好きな服をデザインすることは出来ても、それで生きていくことは出来ないんだと。
そして、どんなに素敵なデザイン画でも多分この会社での商品化は無理目なデザイン。それをわかっていながら描き続け、出してくるルキさんを尊敬し大好きになりました。
ビールから日本酒になって、まだまだ帰りたくなさそうなルキさんと、もう朝までつき合ったっていい勢いのワタクシでしたが、ただ心配でした。
ルキさん、昔から飲むより食べる方だし、今日だってそんなに飲んではいないけど、でもお酒を飲んじゃって大丈夫なのかな?
病気、本当に治ったのよね?
食欲は旺盛だものね。
心配しつつも、ほろ酔ってご機嫌になっていくルキさんが嬉しくて、ワタクシも笑っていました。でも、
「これから何したい?」
そう言われた時、うち消していた不安が一気に押し寄せ、映画『死ぬまでにしたい10のこと』がよぎりました。
「え、これからって……えーとルキさんは?」
「私はバンドでボーカルがしたい」
具体的で明確です。
「コシさんも一緒にやろうよ」
やる。バンドやります!
ルキさんは既にボイトレのレッスンスクールを決めていて申し込むばかり。ステージ衣装の構想もできていると言います。
ワタクシは決断しました。
フルスロットルです!
この瞬間にエンジンがかかりました。
数週間前に、たまたまテレビで高校生の頃に大好きだったバンドのTULIP “THE LIVE” 40th memorial tourの映像を観ました。
「銀の指輪」の演奏を観たその時、かつて1度も憧れたことのない楽器、ドラムに魅了されていたのです。
ドラムってカッコイイなあ、楽しそう、やってみたいなあ。
でも、やれないでしょ、ワタクシもう53歳ですよ、今からそんな未知のもの。
やりたいけど、子育て終わって介護も半分は終わって、これからまた中断してたシナリオもガンガンやるんだから。
ドラムなんて、やってる場合じゃない。
出来る気もあんまりしないし。
と、憧れるだけ、にしていたのです。が、
「ドラムをやる」
「ひぇードラム!?コシさん出来るの?」
「出来ない」
思い切り笑い合いました。
ルキさんの病気は、治ってないのかもしれない。って言うか、治らないのかもしれない。
もしかしたらだけど、最後に会いに来てくれたのかもしれない。
だったらやるしかない、今からルキさんが生きているうちに出来るようになるしかない。
あれから8年が経ちました。
ルキさんの病気は本当に治っていたらしく、すこぶる元気です。なんなら今じゃワタクシより太っています。
ボイトレのレッスンは?と言いますと先生との相性が悪いとか、先生と音楽の趣味が合わないとか、声の出ないキーを練習させられるから嫌んなっちゃったとかで、3人先生を変わった挙句、
「やっぱり向いてないかも」
8年前のワタクシの杞憂は笑い話です。 ワタクシのドラムレッスンは、と言いますとルキさんよりはカナリ頑張ってます。
親父バンドの上手なドラマーさんに、チョットどいてもらって「No Reply」でバンドデビューもしました。
が、「やっぱり向いてないかも」です。
いえ、間違いなく向いてはいません。
でも、あの時かかったエンジンで低速ながら走っています。 スティック血だらけになりながら、息を切らし、ジムかと思うほど汗を流し、時には屈辱や悔しさと葛藤します。それでもドラムは楽しいのです。
ルキさんの病気は治っていたけど、
それは良かったことだけど、
もしも治っていなかったら……
あれから1年後に死んじゃったりしていたら……それはそれです。
受け入れるしかなかったことです。
ワタクシもルキさんも誰しも必ず死ぬらしいからです。
8年が経ち、ワタクシとルキさんは61歳、 もう、どちらかが明日死んだとしても、そんなにはビックリしない年になりました。
53歳でドラムを始めました。
「何で?リハビリ?」「脳トレ?」
って言われます。
どちらにも効きますのでおすすめです。
〈END〉
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