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男女同数って

先日の地震はびっくりしました。被害が大きかった地域の方々は、この後の余震などもさぞかしご心配だろうと思います。

その後の気象庁の記者会見で、「あ、女の人だ」と思った自分がいた。テレビには女性キャスターが毎日登場するし、国会答弁でも女性の議員は珍しくないし、ワイドショーなんかにも専門家として出演する女性は多い。でも、こういう会見って、なんとなく男性がでてくるイメージがあるんですよね。

私は性別において差別は不要だとずっと思ってきた。日常、自分自身が女だと意識するのってトイレに行くときぐらいかも。そんな自分でも、わざわざ「あ、女の人だ」と思う瞬間がある。それって、やっぱりまだまだ男女平等の世の中になっていないってことなんだろうなあ。

時を同じくして、森元首相の問題発言。反発する人、擁護する人、意見はさまざま。私はやっぱり違和感を覚えた。発言の切り取りだろうがなんだろうが、根底には”男性と女性は性差として言動が違う”と言う発想があると思う。

言動の違いなんてあくまでも個人差であって、私は性差であるとは思えない。もしくは、これまで男女間で気持ちや意見がすれ違ったときに、無理やり折り合いをつけるために”男と女は違う”っていうことを持ち出してきて、お互いに諦めてきたんじゃなかろうか。

同性間でも意見の相違や軋轢はある。そんなときは”世代間の感覚の違い”とか”育ってきた環境の違い”とか、やっぱりなんかの理由をつけて折り合いをつけている気がする。

でも、性差による能力には違いなんてないと思うものの、何でもかんでも組織や団体の男女比をあらかじめ同数にする、って言うのにはちょと違和感を覚える。例えば試験や選挙で選抜される場合は男女の数って全く同じになるんだろうか。そんなことをもやもやといつも考えているんだけど。

ほんとのほんとの理想のかたちって、そんな数合わせなんかしなくたって自然に男女同数になることなんじゃないかなあ。個々の能力が男女関係なく養われて、発揮される世界。それがなぜできないのかをしっかりと考えなきゃいけないと思うんだ。

ステップアップのために、同じ機会が与えられているんだろうか?
結婚・出産・育児・介護、の節目の対応はどうか?
そもそも家庭や教育の場で大人たちが男女差をつけてないか?

などなど。

でも、なかなか理想のかたちにはならないから、今の段階では強引に数を合わせる必要があるのかもなあ。

ちなみに今私が勤める会社の組合からの会報には必ず「女性のコーナー」があって”女性の視点で業務を改善”みたいな記事が載ってるけど、私はいつも(こんな記事いらんわなあ…)と冷ややかな目で見ている。

映画やドラマでは女性の政財界のトップが当たり前のように登場する。洋画だと違和感ないけど、邦画だとどうしても絵空事に感じちゃう。現実がどれだけ即しているかの違いだよね。

日本でも、違和感がないような状況が早く来ますように!









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