綴ることが好きな人間の、とある宣言と自己紹介
僕は、文を書くことが好きだ。
キーボードを打つ手に残る感覚、画面に新しい文字が表示されていく様子、浮かんだ言葉をどんどん繋げていく楽しさ。そういったものが積み重なって、心の満足度ゲージがどんどん溜まっていって、それはやがてボーダーラインを超えた結果「好き」になる。
でも、元々文を書くことが好きだった訳じゃない。中学校の夏休みの宿題は嫌いだったし、僕が小学生の当時父が転職するかもと買った、WindowsVistaの今じゃ分厚いと言われるようなノートパソコンのWordで書いた小説も、つまらないと思って執筆(というほど大げさではないが)を途中でやめた。
じゃあ何故、今の僕は文を書くことが好きなのか。
答え、「認めてくれる存在がいるから」。
Twitterに上げた作品へのRTやいいねの通知、好きですと言ってくれる匿名の誰か、学校の文芸コンクールで頂いた優秀賞。それらが今、キーボードの感覚、画面表示、連想ゲームを「好き」に昇華させている。
でも最近は何故か、好きな創作をしようと思えない。本当に何故だか分からない。好きなはずなのに。「創作する」と言う行為に高い壁がある。でも文は書いていたい。文を書くという行為が好きなことに変わりはないから。
そこで活用しようと思ったのが、この場所だ。物語を書くことは何故かできないが、誰かに聞いてほしい自分の身の回りのことを綴ることはできる。それに、創作のアカウントでは場違い、日常アカウントでは少し重量が重いかなと思える話も、この場所なら発信できる気がする。こんな気持ちから、こうしてキーボードを打って連想ゲームをしている。今、僕はとても楽しい。
この「楽しい」という感情、これは「好き」の一種だ。僕は先ほど、認めてくれる存在がいるから「好き」にできると言った。じゃあ、今認めてくれる存在は何か。
それは、誰でもない "僕自身" なのだ。
だから、これからこの場所で僕が書いていく文は、自分で自分を肯定できる内容しか書かない。『性別:女』で「僕」や「俺」といった一人称、年上の彼女がいること、発達障害、過去発症した統合失調症、昔から心療内科に定期通院していること。今の世間からしたらイレギュラーなことも、自分自身が肯定できれば発信したいと思う(倫理の限界を超えないことはもちろん大前提で)。もちろんそれだけじゃなくて、好きな音楽の話や、美味しいと思ったコーヒーの話まで。
文を綴ることが好きな一人の人間が、書いていて「楽しい」と思った文たち。そんなものをここで発信していきたい。
そして、読んでくださった誰かが反応を示して、認めてくれる存在がこの場所にもいると認識できたなら。もしそんな未来があれば、とても嬉しいと思う。
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